稽古がっつり。

宮川賢です。今日は稽古をがっつりやりました。
奈良チャボ改め奈良俊介さんは、今回出番が多いというより一人芝居なぐらい出ているので、稽古量も台詞量も多くなります。
しかし、チャボさん(呼称としてはこれでいいらしい)は、確実に課題をクリアするので、演出としては、とても


有難い存在であります。ということを本日改めてわかった。
まず、役者にはいくつかのパターンがあって、
・出された駄目を理解できない者
・駄目を理解して直そうにも直せない者
・駄目を理解して直す事が一旦できたけど次やるとまた元に戻ってしまう者
・駄目を理解して直せる者

(理解)と(直せる)という物差しでいえばこの4パターンに分けられる。当然チャボさんは4番なんですね。確実に言ったことを自分なりに理解してその変化を次の稽古ではもたらす。
これは、演出家としてはストレスが少ないとても有難い役者ということになります。何度やっても同じ風に出来ない安定しない人や、直ったところが元に戻ってしまうモグラたたきみたいな人は、もはや打つ手がないので役を降ろすか見限るしかない。
あ、そうそう。役者さんは心得ていた方がいいと思う。駄目を出されなくなったらおしまいです。「出しても無理だから」と諦められているパターンに陥ってます。上司と部下の関係も同じようなことかもしれませんね。
最近読んだ本でとても自分に近い考えの人がいて、うれしかったので紹介すると、僕は「自分に関わることの全ては自分の責任だ」と思えばいい、と思っています。そうすれば人を責めないし、あきらめもつく。人を嫌いにならない。人のせいだと思うといらいらする。責任転嫁をすれば向上しない。世の中にはどうしても納得できないことがたくさんある。理不尽なこと、言われなき汚名をきせられること、たくさんあるよね。でもそれら全ては「自分のせいなんだ」と思えればどれだけ気持ちが楽になるか。
で、その本に書かれていた僕の好きな所は、上司と部下の関係において。
部下がミスをしたとする。私(その作者)はそれを叱りません。なぜなら、確実に上司である自分の責任だからです。具体的に言うならば、
1)その人を雇った自分の責任
2)その人にしっかり業務を教えなかった自分の責任
3)その人に高望みの業務を依頼してしまった自分の責任
このどれかだ。

というもの。その通りだなぁと思ってね。駄目な会社ってさ、何かあると部下をスケープゴートにしてクビにしたり左遷させたりする。だが、そのミスをした部下を雇った側の責任や仕事を教えなかった仕込まなかった責任は問われない。そして上司は責任をとらない。だからその会社はどんどん駄目な会社となっていく。連綿とそれを続けている腐りきった会社もたくさんあるよね。
ちゃんとしてれば、部下のミスに対して上司が責任とらされるべきだし、本来そうあるべき。それにより勤務評定に差が出るべき。上司はせっかくここまで上り詰めたのにどうしてそんな部下のミスで足下救われなきゃならないのよ!と思うでしょうけど、その分しっかり目を光らせるでしょう。そうでなければならない。
俺の知ってる会社でも部下のやっていることは「我関せず」という無責任な上司がいるところがある。本当にひどいし。気持ちを込めて仕事をしようとはなかなか思えず携わる場合にやる気の面で苦労する。
だから、自分に関することは全て自分の責任なんだ、仕方ないんだ、と思えれば、意外と気持ちが楽だぜ。俺はそう思ってからずっとそうしてるよ。それでいらいらしなくなったんだ。
ただ、君のハートはなかなか射止められない。そのことには苛立ちを隠せないけれどね。←聞いてない
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