ホテルでやる劇

なんとも間の悪い男、宮川賢です。
週末から週の半ばにかけて、つまり昨日ぐらいまで、「夏風邪」をひいておりました。
食事をしないで、睡眠不足、なのによく動き、薄着で寒い夜も外へ出たりしていれば、やはり風邪をひきました。しかし、どうして、このタイミングで?! なんとも間の悪い。内科の病院に行きました。いつもは明るい茶髪の看護士(←お気に入り)も、二重にマスクをしているようです。


風邪ひいた。
と人に言えば、「えっ!」と口に手を持って行きます。まるでバラバラ死体を見つけた第一発見者のように。
もしくは、「おっ! 豚?!」と軽口です。いえ、失礼しました。もはや軽口ではありませんね。念のための確認ですね。
実際に、自分だって、治りかけてみたものの、まだ解らないですものね。
そして、昨日今日になって、首都圏も大わらわ。マスクがありません。どこへいってもマスクがありません。車で移動するようにします。でも、会議の席上まで車では行けません。ドライブスルーの映画館のように、ドライブスルー会議とかがあれば別ですが、それならネット会議にしちゃえばいいわけで。
半年前のある会社。
◆「弊社の古くから商品である???を、今期から製作を中止することにした」
△「それは悲しいですよ」
◆「俺だって、同じだ。しかし、コストの割に売り上げが悪すぎる」
△「必要なものなのに」
◆「うちの???がなくても、足りている」
△「もう一年だけ頑張りましょうよ。うちの会社のメイン商品ですもの」
◆「わかった。そうしよう。しかし、あと一年だけだぞ。それで???ともお別れだ」
△「はい。悲しいけど」
◆「泣くな」
昨日のその会社。
◆「良かった~。???作っててぇ~?!」
△「大きな声では言えないけどね~。笑いが止まらないぜーっ!」
◆「お前、在庫をネットオークションで出してぼろもうけしてるらしいな」
△「ちゃんと社販で6がけで購入してる。横領じゃないぜ」
◆「関係ないけど、結婚が決まった松ちゃんのお兄さんが寄付してるのは意味わかんねーな」
△「ともあれ」
△◆「作っておいて、良かった~っ! こんなにバカ売れするだなんて、誰も想像しねーよなー。新型さまさまだよなーっ!」
ということになっているかもしれない。つまり、どっかしらで笑ってる人がいるかも。というね。
関係ないけど、出先のツタヤに寄ってみた。ジム・キャリーの「マスク」が一つ貸し出し中だった。なるほど。せめて映画でもってことか。見れば安心? 下品な笑い声でデビューしたキャメロン・ディアスも出てるしね。あの大口に合うマスクは三角巾か。
修学旅行。大阪で新幹線に乗る直前に、校長が「残念なお知らせです。戻らねばなりません」。
大ショックの生徒たち。ディズニーランド初体験はお預けになった。生徒のショックは大きすぎる。
今まで学校で勉強してきたのは、修学旅行で楽しむ為だ。冗談じゃない。悲しすぎる。
とてもよくわかる話だが、仕方ない。五輪ボイコットで泣いた山下泰裕よりはまだいいかな? どっちだろ。
その大阪の生徒にこういう声があった。
「ホテルでやる劇とか、時間かけて、みんなで練習したのに。そんなんいやや~っ!」
これは演劇に携わる人間としては悲しい。初日に中止と告げられる。なんともやりきれない。
僕は、この生徒たちの劇を見てみたいと思った。どういうものなのか。オリジナルなのかなぁ。
教師のモノマネとか内輪受けを入れた親しみやすいものなのかなぁ。それとも、学校生活を
ふり返る素敵な思い出なのかなぁ。
井上ひさしが作った「劇作家協会」というのは、劇作家と名乗れば誰でも入れる。つまり、定義を定めるのを面倒くさがったのだろう。でも、実のところ、話し合った結果、「たった一作だけでも名作を書いた人は劇作家と認めるべき」「だかや、キャリアなどは不問」となったんだろう。尾辻克彦「シルバーロード」のようにね。
僕ら演劇を作る人間には「表現欲」というものが他の人よりも強くあると思う。表現できる喜び。それは、役者の自己顕示欲というものとも少し違い。受ける喜びともまた違い。人気者を夢見る地位欲とももっと違う。それが下支えになって、演劇は作られる、と思う。色んな人の表現欲が文化をつくる。不安定な生活。泣きわめく親。適齢期にさしかかった彼女との別れ。ご祝儀が包めないから、と親友の結婚式を辞退する劇団員。そんなフツーの人が同情する生活をものともせずに演劇を作り続ける理由は、表現欲があるからだ。これを理解できない人には、まるでわけが解らないことだろう。何年やってダメなんだから、諦めなよ。・・・? 諦める? 何を? いーえ。別に演劇は有名人になる為の下積みではござんせんのよ。いえ、誰にいっても伝わらないけど。強がっちゃって、とか言われちゃうけど。
キングストンの人がレゲエを世界にもっともっと広めたい!なんて思ってないように、
沖縄県民が沖縄の良さをもっと内地の人に知って欲しいと思ってないように、
落語をもっと広めたい!なんて働きかけは立川志の輔さんぐらいしかしていないように(汗)、
自分の上司は自分なんよ。自分の上司である自分が自分のしていることを認めてくれないこと。それが一番悲しい事なのよ。後悔するのよね。
アーティストに「売れて良かったですね」って言うのって、どうかと思う。それを目指している人もいるだろうし、喜んでいる人もいるだろうけど、結果がそうなった話でしかないからね。
新型インフルエンザで一つの劇が上演されなかった。ホテルで仲間に見せる劇。練習したのに。受ける筈だったのに。
誰でも入れた劇作家協会。井上ひさしの元へ、入れる筈だった一人の劇作家が生まれないまま終わったのかもしれない。僕が演劇をやろうと思ったのは、高校生の時だ。文化祭でやってみて、強い興味を持った。考える事。演じる事。台本を書く事。協力して積み上げる事。総合芸術であること。色んな事が魅力的だった。
僕は、柔道をしていたので、軟弱なイメージの演劇部には中学、高校とも入れなかった。柔道部の先輩に「バカか?」と言われてやめた。心の中で、表現欲が育まれていたのだろう。杉並公会堂で日の目を見たことでせきをきったようにその欲求に正直になった自分を覚えている。今、演劇をやっている人なんて、そんなものだろう。きっと、みんな。
10年後、20年後、僕らを楽しませてくれる演劇を組み上げる、幼い才能の発表の場が潰えた事は、誰も触れないだろうし、そんなことはどうでもいい、と思われるでしょう。
でも、その「劇」の準備があったから頑張れた勉強も、全てが台無しになって自暴自棄になって不良となって暴走族に入っちゃうかもしれないし。それを「まったく近頃の若いものは」と一言でかたづけるのも簡単すぎる。
「ホテルでやる劇も、たくさん、練習したのに」
世の中には泣き寝入りしなくてはならないことが次から次へと飛び出してくる。
でも、初日は必ずくる。そういうものであって欲しいな。
「ホテルでやる劇も、たくさん、練習したのに」
僕は悲しくて仕方ありません。風邪は治ったけど。

「ホテルでやる劇」への1件のフィードバック

  1. まさるSANて…演劇に志し高い年下素人を可愛がる傾向にあるんですね?そうですね?

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