球を投げる。

桑田の父さんが亡くなられた。もう一度キャッチボールをしたかったです。僕より野球の好きな人だった。とは桑田もと投手の弁。
小林繁さん急逝。江川が「もう一度、思い切り投げ合いたかったです」とな。
音楽が世界共通の言語であるように、球を投げる、のようにスポーツの動作も共通の言語のようだ。広まったスポーツだと余計にね。
高校生の時に見た「高校サッカー」が面白くて仕方なく、
「どうして野球しか放送しないのだろう?」
と思っていました。もう、野球が嫌いで嫌いで。視聴者が見てるのにモタモタ投球練習とかしちゃうし、投げるまでの駆け引きも長いし、なかなかバット振らないし。そのくせ一瞬で勝負が動くから見逃せないし。試合中だってぇのに、野手は「待ち」だし。サッカーみたいに全員がサボラず働いてる試合の方が見ていて気持ちよく好きだったのだけど、なぜだかどうして、その当時サッカーなんてものは滅多に放送しなかった。だから、たまにみた高校サッカーの決勝に感動して。
だが、人の命がなくなった折に「球を投げる」話を引き合いに出されると、そうかぁ、野球ってそういうものなのね、とは改めて思う。
TBSラジオは、週末のナイターを「放送しない」方針に切り替えたそうな。10年前から、ナイターを放送しないでなんとかならないものか、というのはAMラジオで囁かれている。僕も当時の社長から「お前みたいな奴がもっと色々アイデア出せ」と飲みの席で言われた。
ん? 待って。ナイターって儲かるからやってるんでしょ? 違うの?
そうでもないようで。読売の中継料、ハンパネェ(トータルテンボス風)らしく。手放すと他社に独占されちゃうから、泣く泣く手放せずに赤字でも持っている、そんな雰囲気にも近いらしい、と風の噂で耳にした。
話題それて赤字を経験したラジオ局の話。
マスメディアで赤字、なんて笑うご時世になった。恥を知れ、ということなんでしょう。リーダーが飛んだとする。新たに訪れたリーダーはコストカットにご執心だとする。社長クラスになると自分の任期内の「成績」以外に興味はないので、バシバシ予算を下げて「黒字転換」を試みる。しかし、現場は、編成局なんぞは、「いやいや僕たちはこの会社でラジオと向き合ってずっとやっていかないとならないので、目先の利益なんて追求できませんよ」と、「面白い番組」も残そうとする。「存在する必要がある番組」も残そうとする。でも消費対効果で判断する社長とせめぎ合う。どっちも正論。ラジオの事を考えているようで、そうでもなく。自分のことだけ考えているようでそうでもなく。
まぁ、じゃあ、これからラジオで何がどう変わっていくのか、ということでいえば、久しぶりにラジオのことを考えて喋ったラジオ日本「ラジカントロプス2.0」が近々放送(及びポッドキャスト配信)になりますので、聞いてみて下さい。この特番こそ、ラジオ日本にとって必要ないハイコスト番組の筈。毎回出演者違うし。だが、これこそ「あって欲しい」番組であり、毎回編成会議で「これぐらいは残そうよー」となる消費対効果以前のラジオ局のあり方を考えさせられる番組なのでありましょう。
ともあれ、自分の中の結論は。
球を投げ合う人たちの人生において、それが放送されるかどうかはあまり関係なく、偶然放送されて収入が増えたに過ぎず、
対して僕ら・・そのスポーツという単純に人に感動を与える動作の連続を日々繰り返す人たちの外側で、その利権に振り回されている人たち・・という者どもは、金を産む、とか会社を建て直す、とかそういうせせこましい中で生きているさもしい人種のように感じてしまうよね。ということです。
売れる売れない。儲かる儲からない。というのと、
いい悪い。面白い面白くない。というのは別であるということです。
小林さん、桑田さんのお父さん。心よりご冥福をお祈りします。

「球を投げる。」への1件のフィードバック

  1. キャッチボールって、相手の胸めがけて投げますでしょ。ァィ?がないと一球一球投げられない気がしますので、ちょっと特別なものなのかなと・・・

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