ミニスカポリスの出番だ。

お巡りさんて、自転車乗ってる印象があるよね。ミニスカポリスもお巡りさん? 警邏の巡査なら、彼女たちの出番。


それはそれは悲惨な東日本巨大地震。我慢しきれずに東北放送の人にメールした。返事が来ただけで涙が溢れる。連日の報道と「こんな悲惨な映像を我が社は入手しましたよ」自慢のリピートに、どんどん大人の胃は痛くなっていく。空気は、その規模の大きさにただただ気圧され、同情や状況を見守る事以外の全てを不謹慎とする向きが出来上がった。
だが。これだけの日にちがたって色々思う。まだご遺体を回収できていない方々も沢山いるし、再会できていない方々も多い。本当に同情するし、無力の自分を悔しく思う。うちにも劇団員で仙台出身の者が二人もおり。心配で仕方なかった。だが、メールや電話をすると被災者やそのご家族が使いたい回線をトラフィックの混雑により遮断してしまう可能性がある。電波には幅がある。なのでずっと我慢していた。どのみち稽古で会える。会えなくても、何かあっても、それが今すぐ解る必要はない。正直知りたい。知りたくて仕方なかったけど、それを急いで知りたいと思うのは、贅沢だと自分は考えた。そうしたら「今日稽古あるんすか?」とかフツーに不真面目アルバイトみたいなテイでメールが来て若干脱力したが。
ともあれ、何しろ、想像を絶する巨大地震が日本を襲った。今なお再発中だ。
だが。だ。この「大抵のことを不謹慎とイメージづける」雰囲気そのままにヤキモキしているだけで本当にいいのか、というとそうではない。では自分に何が出来るかをよく考えて建設的に話をしよう。東北からはボランティアに来ました!と頼んでもいないのに現れて、「げ。迷惑なんだけど」となっている血気盛んな(おそらく阪神淡路の時に学習しなかった当時幼子だった若人だろう)人たちの話が聞こえてくる。このように「イタイ」人にはなってはいけない。物資を送るのも控えよう。出来るのは「募金」だ。
これが一番だ。すぐに救済団体に渡り、ものとなりサービスとなり被災地に届く一番簡単で一番有用な、誰でも出来ることだ。
これはした。いくつかこれからもする。
だが。では、他に何が出来るか。僕が考えるのは「自転車通勤」だ。これは間接節電だ。原発の爆発相次ぐ中、予断を許さぬ状況で、何を呑気なと哀れむなかれ。メルトダウンの意味を広義で捉えると、とか、冷却が、とか構造にどれだけ詳しくなろうとも、その時が来た時に一番必要な対応が出来なければ意味がない。考えれば考える程、怖くなるのだ。放射線は雨で広まるから、明日の雨は気をつけろ、と言われても。それもチェーンメールとして捉えといた方がいいんじゃないの? 怖がりすぎて胃にポリープ出来ちゃうよ。勿論興味は持つべきだし、最低限知る必要はあるし、毎日そこそこ情報に追いつかねば、危険だ。しかし、それをずーっと追いかけて仕事もしないでテレビばっか見て、やたらドキドキしている人っていうのは、遊び人を彼氏に持つのが好きなドMな女でしかないような、心配好きな人のような気がしてならない。
そこで何?ってぇと、節電。でも、民間レベルの節電も大事だが、何しろ電車を止めなきゃいけない。だが枝野さんが電車はなるたけ動かして、とかほざいてる。勿論それは節電をして東北の復興を一秒でも早めるのとは別に、節電しすぎて、会社が休みになりすぎて経済が回って行かなくなると困るからですよね。国債が下がって、日経平均が落ちていく。
つまり。一番の節電である電車を止めても社会が経済が回転していけば一番いいわけね。今は、電池とかトイレットペーパーとか買い占めている場合じゃないのよ。水とか沢山買っても、買った家が潰れてしまったら逆にその水を掘り起こして飲めないじゃん。それなら買わずにスーパーの強固な倉庫に買わずにおいておいて、有事に売って貰った方がいい。「牛乳入りましたーっ!数に限りがありまーすっ!」という市民の不安を煽るスーパー店員の声高な売り文句に慌てさせられて買う必要はまるでない。水がなくて死にそうな人がいて、買いだめした家の人が「これはうちのだからあげない」なんてことする?まぁする人いるかもしれないけど。
節電して、尚かつとはいえ株価も下がらず社会がなるたけ通常に近い形で動くのがいい、としたら、もはや「外食」とかは不謹慎でもなんでもないわけ。逆に家で料理して家の電気使うよりも、外で金使うけど、家の電気使わない方がいいわけ。誰もレストランで食事しなくて閉店続きになっちゃったら、意味ないワケ。多少空いてる店でも、同じだけ電気はついてるわけ。電気使ってる店なら沢山の人がいったほうがいいワケ。家をあけて家で電気使わないで金使った方がいいわけですよ。
まず、「節約」と「節電」は大きく違い、今この時に節約そのものはあんまり必要ではないと思う。俺も考えて、「おろ。家で風呂湧かすより、金はかかるけど、スーパー銭湯行った方がいいんじゃねぇの?」電気使わないし。と思い至る。なんだか、東北の人が大変なことになっているのに、スーパー銭湯だなんて、と勝手に思うけど、スーパー銭湯に行くのを控えたからって被災者の人が喜びはしない。自分が自己嫌悪になりたくないだけの自分のエゴだ。
鈴木桂治は優勝したが「こんな時に柔道をしていていいのかと思った」と語る。いいのです。して元気づけなきゃいけないのです。日本を。東北を。被災者の中に鈴木桂治ファンがいて。「なんだか気乗りしないので出場やめます」としたら喜ぶだろうか。頑張ること。自分でしか出来ないこと。それを一所懸命やるのは、どこも不謹慎ではない。そのような空気に早く戻って欲しい。
どうしても外せない仕事があるから高熱なのに会社に出社した人がいたとする。その人に対して、五分おきに「大丈夫? 大丈夫?」と声をかけた所で嬉しいかというと逆だ。それと似てる。しっかりと正しい情報を自分の中で最も早く正確に押さえておきながら、普通に近い生活に早く自分を戻す事。それが、間接的には東北を元通りにする近道のように思えて仕方ない。
だって。どんな人だって、この状況で、職場でささやかな冗談を言えるようになったとしても、心のどこかでズーンと重いものを持ち続けているでしょう。だからこそ余計に、落ち着かないと。早朝車でラジオ日本に向かうと荒い運転のトラックに追い越される。本当に危険だ。人の気持ちがささくれ立っている。自分はそうはなるまい、と落ち着こうと努力する。それが空回りになる時期もあった。「芝居の台本なんか書いていていいのだろうか」と。だが、書く手を休めて喜ぶ人は一人もいない。「僕ってちゃんと心配してるっ」という自己満足だ。
気をつけるべきは、普段の自分を早く取り戻し、テレビの煽り報道に洗脳されないこと。正しい情報を落ち着いて頭に入れてその日その時を過ごすこと。それと、節電を心がけること。計画停電による電車の間引きに対応して生活を成立させること。その為には、自転車通勤をしよう。出来る範囲の人はしよう。今は自転車も売っていないと聞く。でも人から借りるなりして、頑張って乗ってみよう。距離を考えて、一度挑戦してみよう。その状況を楽しんでみよう。それは自分の知らない側面の発見であり、不謹慎ではない。なぜなら枝野さんが「みんなが自転車通勤してくれているので鉄道もガッツリ計画停電入れちゃっていいで」と言えば、もっともっと電力が供給出来るからだ。
だが、どうしても「この寒い時期に自転車なんて乗れないよお」という人もいるだろう。「面倒だよぉ」と。だから、車とかに乗っちゃって通勤しちゃってるワケでしょ? ガソリンスタンドで並びまくっちゃってるワケでしょ? ガソリンだって、我も我もと買い占めちゃうと、物流が回らずに被災者に迷惑かかるんだぜ。わかっちょるのかい?
車ではなく、自転車で通勤する。それがしづらい人の為に、ミニスカポリスが警邏巡査として町をチャリでチリンチリンと走ればいい。そうすれば、「おおっ! ミニスカポリスのミニスカから太ももの付け根が!」と自転車通勤者が増えるんじゃないかなぁ。自分も自転車通勤すれば、ポリスとすれ違える機会が増えるワケだから。
俺はまるで無益なチェーンメールが回り回ってる今の情けない状況よりは「ミニスカポリスが数千人単位で都内で警邏警備に入るらしいよ。早朝とか、夕方とかに」というチェーンメールを回した方がまだましだと思う。
嘆き続けるより自転車に乗ろう。

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