里子の事件と、紳助さん。

 里子を殺害する事件があった。
 でも母親が自発的に「社会的貢献がしたい」と言い出して迎え入れた里子だった。なのに命を奪う段階までいってしまった理由の一つに「里子にありがちな性格」があったようで。いろいろと「里親を試す」形で悪さをするそうな。スネたりモノを壊したり、感情的に怒らせる事がとても上手で、それにより「あなたは私に対してどのぐらい愛情を注いでくれるのでしょうか?それを見せて貰いましょう」という里親をテストしているのだそうだ。それが里子にありがちな性格らしい。勿論、そうでないお子様も沢山いらっしゃるでしょうから、語弊含みと受け止められたし。


 ほんの少しだけど、似たような経験があって。若い頃、初めてラジオで自分の冠番組を持つ事が出来た時。プロダクションに所属しているワケでもないし、マネジャーがいるワケでもないし、局のアナウンサーでもない。そんな立場でタレント業のような事を始めた時、ことある毎に「これはタレントではないから、こういう扱いなのか?」とか「これは局アナじゃないから丸投げされているのかしら?」と疑心暗鬼な日々だった。
 最近でこそ、色々見えてきたから局のアナウンサーさんが如何に局内の大切なことを知らされずに過ごしているとか、僕らフリーと同じぐらい「やりたい仕事(番組)につきたい」と思っているとか、番組での出来不出来に一喜一憂している、とかは理解できた。ヘタすると外部ということで局の愚痴を言いやすい僕らの方が局の事に詳しくなってしまうぐらい。
 だが当時は、わからないから。被害妄想もあるでしょうし「タレントじゃないから言いやすい」というのもあるでしょうけど、自分の中で「けじめ」の線引きをしなきゃいけなくて、また決めたからそれに則って動こうとしたり、等が厄介だった。具体的には「それは出来ません」と言ってみたり。正社員でないからバイトみたいなもんだし、契約書も交わさないから局の都合でいつでもクビにされる。非常に危うい立場にあると「愛情」を実感する機会を自然と求めがち。
 で。今思えば、愛情を感じたくてラジオ番組でケレン味のある発言を繰り返し、そのたびにプロデューサーや編成の人に関係各所に謝りに出向いて貰い、それを気づいても多少の学習を除き基本は繰り返した。あれは、当時は「攻めないとならない」という切迫感やはみ出さない「可もなく不可もなく」がラジオでは「最悪」という価値基準が確立していたのもあるが、そうではないのかも。どれだけ尻ぬぐいをしてくれるのかを、里子の性格のように「試していた」のではないか。実際、社員じゃないから里子の立場にかわりはないし。そういう事を数日前にふと思った。
 次に。その「攻めないとならない」話。面白いお喋りをして面白い番組を作ろうと思えば「多少はみ出す」のは経費であり税金であり、当然狙うべき部分。とこれは今も変わらず思う点。ミスをしない喋りなんてクソつまらないし数字取れないし評価もされない。特に僕ら外部の人間はラジオ局のアナウンサーさんのように「スタメン」レギュラーではなく指名打者のようなもので。スタメンとは違った動きをしないと意味がない。フツーの番組だね? となってしまうと「なら誰でもいーじゃん」なので。
 だから、はみ出す喋りをするのは「どれだけ経験を積んでも」仕方ない部分だと思う。少しずつ少しずつはみ出す部分が広がっていく場合もあるだろうし、丸くなったり時間帯が変わったり大人になったりして狭まっていく場合もあるだろう。北野誠さんははみ出し過ぎてしっぺ返しに繋がったのかもしれないし(でもとはいえ根底にはサービス精神があるし)。
 この「どこがベース軸で、どのぐらいはみ出すか」論は、いつも考えて仕事をしている。一度、とある番組でスタッフ全員に「はみ出し過ぎているので僕の持ち場としては迷惑です」と直訴したことがある。基準がここ、と決まってる。だから「生放送の出演者」が「敢えてこのぐらい」はみ出す。「過激な発言」は相対的なもので基準ありき。単純に例えると宮川が男性器を連呼しているのだから、とスタッフも一緒に連呼するようになり、それが普通のレベルとなりつつあるからもっとドギツイ言葉を連呼するようになる。その無意味。無秩序な無法地帯に「過激」もクソもないので自己崩壊し始め、節度を設けませんかとお願いした事がある。喜んでいるリスナーがいるからといって、青天井に下品でいいワケがないし、個性や正義もないまま底なしに低俗に向かうのはやめましょう、と言う僕の考えは「自分が率先してバカ話してる癖に何言ってんの?」といった感じで、まるで伝わらず宙に浮いたままだったのを覚えてる。
 紳助さんの引退に繋がった「政治的発言」を「テレビ局も事務所も守ってくれなかった」ので、暴力団関係者に頼って解決して貰った、という話。右翼団体を怒らせた発言が、その右翼団体擁する暴力団関係者が中に入って手打ちにしてくれたそう。あんなにベテランでクレバーで頭の回転が速いタレントさんでさえ「失言」をする。でも、その失言は、その失言の裏にあるグッジョブの中からちょろっと零れたものであり、零れなかった99.9%のグッジョブでおいしい思いをしてきたのは事務所でありテレビ局である筈なのに、なのに「助けてくれなかった」と会見で言わせる絆の希薄さを見ると、決して本人の責任で片付けてしまってはいけないような気もする。勿論、その分多額のギャラ払ってますよね?なのでしょうけれどね。
 今回ハッキリわかったのは、二つ。大手プロダクションの有名タレントであれ、局のアナウンサーであれ、僕のようになんだかわからない形で携わり続けている者であれ、何であれ出演者はみんな里子なのだなぁ、ということ。
 それともう一つ。ペンは剣よりも強し、ではあるが、ご本人の美学とはいえ「舌は剣に屈す」という形になったのが残念です。

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