公演が始まり行いそして終わりました。

宮川賢です。ばたばたしているうちに公演は初日を迎え、中日を迎え、千秋楽を迎え、稽古場でのばらしも終わりました。木曜日の本日は、トークライブを大塚でやりましてん。ふと一息。
回遊魚のように泳ぎ続けていないと死んじゃうような、そんな自分を感じます。まぁ、それでいい。先週終わった公演「煙突守とルール」は色々なことがあっておもしろかったです。考えた通りのことができたので自分の中での評価も低くないです。もう見終わって数日経って評価や印象も消化しきった後でしょうから、こうして書きますが、
丸くなることに抗う。
それがテーマでもありました。もちろん、「ヒポクリティカル~」の大人数から打って変わって少人数で正反対のことをやりたい、というのはもちろんありました。ですが、一番は、3・11以来、守りに入っているとは言わないまでも「不謹慎」や「不道徳」に対しての乱暴な挑戦を(テレビなどマスメディアではないのに)していないことへの反省です。
大人になるといろいろなことを経験して人の痛みがわかります。大学演劇だと医者と患者の会話で「あなたは癌です」「ガーン」とか(それがおもしろいかどうかは別として)安い笑いを貪りにいく人がいます。ですが、いい大人になると、そして身近で癌で亡くなる人を見送る経験を経るとそういう駄洒落は口が裂けても言えませんし、控えるようになります。
ですが、表現というものは、必ず「何かを得ようと働きかける」ワケですから、「何かを失う」のは仕方のないこと。その失うものを最小限にとどめようと「自分が知らず知らずのうちに」しているのではないか?と強く感じたのが最近なのですね。
誰がどう思おうがカンケーねーよーと思っていた僕が東日本大震災の後、どうしても「誰にどう思われようが知ったこっちゃない」となれなかった。特に「いるだけ。」の内容に関しては自分で沢山ストップをかけたが、それ以降もなんだか「ふざけづらい」自分がいて。それが嫌で、徹底的にふざけてみようと、そのふざける感覚をカラダで思いだそうとしたのが「煙突守とルール」です。癌なのに。レイプなのに。神父なのに。親なのに。医者なのに。弁護士なのに。
この契機を迎えて、人が「丸くなるプロセス」を理解しました。経験を積んで痛みを知り、それを慮って配慮する。それは当たり前のことですが、善し悪しです。何をよしとするのかは人それぞれ。
僕は20代からラジオ喋りを始めて、長い間放送局の人から多少のご指導を受けましたが、それらの9割方を無視してきました。その理由は、それを聞いてしまうと、その人と同じような平均的な一般人になってしまい、人と違った発想をしなきゃいけない!と思い続ける人からずりずりと引きずり下ろされてしまう恐怖を感じていたからです。庶民的な感覚を持つ努力とそこから下ろされずに踏ん張る努力はまた別ものです。局の人から「常識人になりなさい」的なことを進言される度に、「それは結果的にあなたが求めることにはなりませんよ。扱いやすい出演者にはなるでしょうけれど味気ないものにしてしまいますよ」と(言わないけど)お互いの目的がそうであると信じて無視をし続けました。
そんな感じです。


もちろん、役者も同じです。
駄目な役者もいます。チームを編成するとなると、ちゃんとした人が必要だし、多ければ助かる。ですが、駄目な人は駄目な人ならではの魅力があるんです。女にちょっかいだしやすい人、酒飲み、ルーズ、ちゃらんぽらん、無責任、色々な人がいますが、それぞれ持ち場があります。使いようです。個性を重んじるのだから、腹式呼吸だってできなくていい。体力だってなくていい。それを補ってあまりある魅力があれば、体力を必要としない役を書けばいい。
ただ、唯一の問題は、役者側がそれに甘えて向上心を持たないのは最悪ですがね。さあて、明日も早いから帰って寝る事にします。

Zaz – On ira
今日の一曲はこれ。ZAZの新譜1曲目。

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