芝居を作っているからか。

虚構の世界に生きている時間を経験しているからか、嘘と本当がないまぜになる。ラジオで喋る事も、「超」自分になっている為に、そこに虚構風味が加わる。マイクの前ではこうありたい、という自分のイメージに自分を近づけようとしている、というか。

女性が、メイクで綺麗になりたい。というのは「綺麗になりたい」のではなく、「そういう顔になりたい」のであって、「十分綺麗だし若いしメイクなんか必要ないよ」なんていう殿方の慰めは「うっせーな」らしいですね。それと同じか違うか別にせよ。ともあれ人は演技をする。

特に俺はよく考えていると思われるらしく。ただの台本の誤字を「いや、宮川さんのことだから、何か意味があってのことなんじゃねぇか?」と指摘を遠慮されたりする。稽古場の内壁を「油性(!)」ペンキで劇団員に塗らせた時も、のちのちまるで乾かず苦情殺到、エライ怒られたんだけど(40過ぎて怒られるとフツーに凹みますヨ)、劇団員たちは、塗りながらシンナーで「ラリりながら」も「いや、きっと宮川さんのことだから、油性にはワケがあるんだろう。屋内で油性なんかまず使わないのに」と思ってやっていたのだろう。いやあゴメン。

こうしたらもっと現実は面白くなるんじゃないか? そう思って、やり直しを頼む事が現実にもラジオの生放送中リスナーに対してもよくある。

例えば、DM作業の時。僕が折角封入した封筒をバサと零した。あわわわわっ! 申し訳なかったけど、その場で一番面白くするにはこれが一番だ。ということでカムイに「ねぇ、『チッ!(と舌打ちしてから)あ~あぁ、何やってんだか』って、言って」と言ってみた。カムイは僕にとってのオモチャのようなものなので、すぐに言ってくれて。とてもミジメな気持ちになれて、良かったヨカッタ。

稽古で大平君に「奈良チャボに髭はやしましょうよ」って言ってみて。って言ってみた。これまたいってくれて、面白かった。奈良チャボさんも「わかった。はやします」と言っていた。なんだかなぁ。

つまりね。劇作家というのは天地創造者であり、人が何を言うかを決められる自由がある。それを芝居以外にも「その力がある」と錯覚しちゃってるだけなのでは? と思い始めた。うん。困ったもんだ。

役者をすることの魅力は解るのよ。変身出来るとか、客前で台詞を言う単純な興奮とか。拍手の感動とか。達成感とかね。でも、芝居書きの「言わせる魅力」というのも実はある。結構サディスティック。書いた通りのことを言わないといけないのが役者です。役者は「言えません」とは言えない。舞台役者はスーパーマンですから。不可能はない。やれと言われて「できません」はない。てことはドエライSMプレイのようなものですね、芝居の稽古というものは。そりゃあ、女優の彼氏にも焼き餅やかれるワケです。

“芝居を作っているからか。” の続きを読む