絶賛稽古中☆9/1-「Understudy」

宮川賢です。今月はジャニーズJr.と今井清隆サンの対峙構図の公演「Understudy」の稽古三昧です。今月も先月もトークイベントがほぼ出来ていないのは、こういった事情です。ラジオ収録で各方面にご迷惑をかけまくっているのも申し訳ない限りでございます。すんません。

芝居を書く者が稽古の演出をする場合、役者の誰よりも「その役」の事を理解しており、

それを本人(キャラクターもしくは戯作者)から丁寧に伝える作業から始まるが、それがある時臨界点を超えてキャラクターが一人歩きをし始める時が訪れるんです。これが寂しくもあり役者を頼もしく感じる時でもある不思議なひとときです。

何を意味するかというと、役について自分が圧倒的に詳しく熟知していた(当たり前の)状態から、俳優が完全に役をモノにして、戯作者が作った役以上の人格の広がりを見せ始めるという状態です。思い描いた役のイメージを体現出来たのみならず、さらに作者の知らない役の細部や沿革を役者が描き始めた時に感じる寂しさでありヤキモチであり頼もしさなのであります。

今、まさにそういった状態に等しく、そしてそれが来るのがスケジュールの都合で仕方ないとはいえ、早く訪れた。稽古の進捗としては素晴らしい。だけんども、作者としては少し悲しい(汗)という。役者の個性が台本の力を引き上げたり、役者の技術が芝居の迫力を増したりなんてのは当たり前のことで、それがなければ芝居じゃなく台本読んで貰えればいいじゃないか、という話でしかないのだけれども、それを解っているのだけれども、それでもやはりこうも早くその時期が来ると少し寂しい(笑)。いや、寂しがってる場合じゃないし、それは演出家としてはとても喜ぶべきことなんですよ。楽でいいぜ。ってことだしね。

あの役のこの部分(仕事に関する熱意の部分とか、恋愛における振る舞いとか)は完全に手を離れた!と思える箇所が多くなっていくのを感じる時期を経て、もはや役者の方が把握してるのではないだろうか?と思える時期に入ったということです。そうなると、演出として指示することは客観視の視点における代表意見や段取りが中心となり、それ以外は役者と共に作るという作業に遷移する。

そして、そのプロセスに移行しないまま本番を迎える事もままある。何度も経験した事がある。それが今回はこの時期でこれだわさ。人の集中力は凄いね。頼もしいのは「毎日、稽古の度に、少しでいいので必ず階段を上りなさい」を常に克服し続けている点。

演出だけの作業なので、色々な部分が見えて興味深い。公演は9月1日からです。ぜひ、いらしてね。自分らしい節回しは炸裂してるとも思いますし(当たり前か)。そして音楽がくまざさ商会(磯田収、ハセベノヴコ)のお二人。これまた職人芸を見ています。望んだ通りのコンセプトで望んだ通りのイメージが具現化される歓びを感じられるようになったのは、人の尻ぬぐいばかりする残念な作業の印象が強かった「演出」という役割の僕の中での印象を変えてくれたお二人のお陰です。

ただ、問題も挑戦もまだまだある。プロデュース公演だろうが挑戦はするし賭に近いものもある。それがどうなるのかはハラハラしながら向き合いなんとかしようと思ふ。むぐ。

投稿者: 宮川賢

宮川賢と申します。人は権力を持つとどうして威張り出すのかは未だ理解出来ないす。威張れる立場にあるから威張るのだとは思うけど、それを喜べるのはさもしいよ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください