猛烈に遅くなりましたが、浜岡プロデュース公演「brave」ご覧頂いた皆様ありがとうございました。
無事終了
無事、千穐楽の舞台を終え、バラシも終え、打上も終え、残るはいくつかの精算ぐらいです(山ちゃんの小道具代立て替え精算とか)。
ジェンダー問題
考え始めたらキリがないのが、ジェンダー問題です。稽古をしていても、稽古そのものがセクハラなのではないか?(セリフでああいった内容を女優に言わせたりって事とかね)なんてことを考えてしまい思考が止まる。
いや、それでいいのだ、と考えてまた歩みを始める。例えばこういうセリフ。
リナ「悟られないようにしてる。恋愛で仕事に影響が出たら「これだから女は!」って事になる。女は男の何倍も仕事出来なきゃいけないから。」
リナ「出来ないよ! 女にとって恋愛は勤め先ではマイナスイメージなんだよ。腰掛けOL、寿退社。「男性を好きになる」イコール「仕事を辞めたい」になっちゃう。」
真理のようでもあり、そういう風に考える女性がいてもおかしくはないと思うのだけれど、そういうセリフを女性の登場人物に言わせてる事がそもそも問題か?とかね。
上記の例は、まだいい。というのは、恋愛で情緒が多少乱れている段階での女性の発言であり、それにより、強い女性が恋愛でちょいと弱くなっている「魅力」を出そうとの意図がある。
だが、次のようなセリフだとどうだろう? これを役者とは話し合わなかったが、多少のバイアスがかかっている意見だ。
ゆりあ「男全員がそうとは言わない。でも、女にはあり得ない事。私たち女性は、まず相手を人間として見る。仲良くなるに従い興味が湧いて最終的に恋愛対象になる事がある。シュウ君のような男性は、まず、第一印象で自分の恋愛対象として見られるかどうかを判断してそこからスタートしてる。その無意識下の差別が最もタチ悪い。だからD。」
このセリフも言ってみれば「そういう風に思うキャラクター」が登場しただけ、と言えばそれまでだ。
しかし、自分が最後まで気になっていたのは、このセリフを言うのは「完璧過ぎる女性社員」なのだ。感情的になることなく、理知的で全てがパーフェクト。そんな女性。そういった設定なのに、言い切ってる。「女にはあり得ない事」というのも偏見だし、「私たち女性は、まず相手を人間として見る」というのも女性をひとくくりにしてしまっている。
まぁ、稽古場で、このことが台本読解において話し合う機会に俎上にのぼったら、僕は「ゆりあは男性に対して解っているようで、解っているつもりでいて、その実、無意識に偏見と差別の眼差しを向けている」と説いただろう。
そして、そういう風に「女性は男性を差別的に見ている」と作者の僕(男)が思っているというのがどうも座りが悪く気分が宜しくない。僕としては「はたから見て完璧に見える人は女性であれ男性であれ、その実完璧でなんてありっこない」という前提なので、そういった「穴(欠点)」の部分なんだけどね。
ただ、この女性キャラクターゆりあは「恋愛だけが苦手」という風に表現し続けているので、その辺りがなんとなくだけど気持ち悪くて。
一概には言えっこない
とまぁ、こうやって考えていけば考える程、一言で片付けられるワケもないし、難しいのだけれど、それにしても、女性側の立場に立って物事を考えてみるという試行錯誤の旅は男には難しかったかもしれない。恋愛感情って男女同じだと思うので(ってのも乱暴な言い方だけど)、人を好きになる要素は僕が男性であれ描ける。そして恋愛は「無根拠」でいいので作者としては「楽」で有り難い。
だけど、恋愛以外の部分(女性の価値観など)は想像でしかない。勿論、人それぞれなので、そういう個性で片付けて良いはずなんだけど、今回の登場人物は「男女平等の問題を考えるプロ」という設定なので、「この考え方が女性の代表格でいいのか?」がつきまとったのね。考えすぎたかもしれないけれど。
時代にしがみつく
勿論変わらない人もいるだろうけれど、僕は多少でも時代に追いついていけるなら追いついていきたいと思うし、自分の中に、つまり昭和に育まれたが故に刷り込まれているだろう男尊女卑の精神を粉砕していきたいと思っている。その努力をしない者は、現代に生きる価値がないとさえ思え。
そして、そんな自分の中の考え方をバンバンアップデートしていく為に、こういった題材を取り扱う事にしたのかもしれない。
かつて大工になりたくて大工の芝居を書き、社内恋愛をしたくて社内恋愛の芝居を書いた。
戯作者は神なので、全てのルールや価値観を決める事が出来る。なので、自分の個人的な夢や子供の頃の憧れをそのまま舞台に反映させていた時期もある。最近はこのように、自分が変わりたい方向へ行ける可能性があるものを題材に選ぶやり方が一つの傾向として生まれた。
知らないうちにドンドン頑固になっているのだろうなぁと思うし、頭が固くなっているのだろうなぁとも思うし、社会の構造を理解していくに連れてクソつまらない大人になっちゃってるんだろうなあとも思う。それは勿論甘んじて受けるつもり。むしろピーターパンが恥ずかしい。
吉本興業のタレントさんはピーターパンの方が日本が明るくなるから契約なんか交わさなくていいと思うよ。契約を吟味するとなると、法律用語を覚えないとならないし、それをしないなら自分が弁護士を雇わなければならなくなる。それってドンドン夢を配り歩く人たちがつまんない大人になっちゃうってことだからね。会社の都合も意図も考えず、見た事だけで判断して、社長が替わらないなら辞めると言ってみたり、「※※、動きます」と呟いてみたり、そういったピーターパンのままでいて貰った方がバラエティ番組は楽しいままの筈。でないとTDLでミッキーマウスに「領収書は上様で宜しいですか?」って言われるようなもんだからさ。
閑話休題。
時代は若い人たちが作るし塗り替えていく。辞書だけでなく、風潮も価値観さえも。取り残される価値観を化石のように持ち続ける潔さも勿論あるけど、芝居書きとしては、もう少し抗いたいんだよね。かくしてこの芝居「brave」内に書いたように「普遍的に楽しまれる作品は存在しない」結論に達し、「今」描ける話を考えるようになりました、とさ。(宮川賢)