いよいよ明日、前売り開始です。

「煙突守とルール」
前売り開始は3/23(土)です。
ビタみせ(v-mise.com)でもご購入頂けますので、ぜひぜひ。
私、宮川は、本日まで仙台に行っておりました。仙台のビジネスホテルでただただ台本を書く作業をしていたのですが、意外と暖かかったです。戻ると桜は満開でした。まるで桜が嫌いな人の旅程でした。
稽古は4月からですが、今から楽しみ半分どきどき半分です。去年とは全ての面で正反対な芝居を作ろうとしております。それぞれの方面で挑戦しているような。
仙台で、劇団の公演を行こうとしたが、満席で入れず、でも、近くの劇団の稽古場のある雑居ビルをちらと見に行ったりはしました。うーん。オリジナルのものではなく、例えばシェイクスピアやってたり、小劇場の既存の劇団の台本を上演していたりすると、それだけでまるで見に行く気は失せます。いい役者がいるかどうかを見るのではないのでね。
芝居のトーン&マナーを感じて、その土地土地の色味が少しでも感じられたら嬉しいなぁと。そういうことでいえば、大阪の花月は最も個性的であります。仙台の本屋さんはどれも大きいので、演劇のコーナーが大きめな書棚の本やさんもありました。その中で、欲しくて仕方ない本もいくつかあって。
めいじ.png渡辺保の「明治演劇史」は知っていたが「江戸演劇史」もあった。上下巻で。これも欲しかったなぁ。松井須磨子は前回「ヒポクリティカルアイランド」で調べたので(時代背景がその頃の要素としてあったので)、とても興味深く。
あと。「ヤン・ファーブルの世界」。結局来日公演がありつつも、いつも芝居をやっていて、結局一度も見られていない。なので、とても買いたかったけど、荷物がパンパンなのであきらめた。とほほ。
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とか。他にも色々「へぇ、こんな演劇の本があったんだぁ」なんてものも置いてあって楽しかったです。買わなかったけどね。買いたいけど、いつになれば読める時間が出来るのか、それを読む時間よりも優先させる読書が(取材とか)あるんじゃないか、と思うと断念すること多し。
なんて葛藤しつつも、いよいよ前売り開始です。
「煙突守とルール」
エントツモリとルール
と読みます。かつて灯台だった所は光を放たなくなりそこで働く者は「エントツモリ」と呼ばれるようになった。なぜ呼ばれても、そこで働くのか。それはそれが決まりだから。
この芝居では、「決まり」に縛られる村の人たちの物語。
ルールとは? 法律とは? マナーとは?
この芝居の立脚点は、3/11で浮き彫りになった「日本の秩序」です。他の国では想像がつかない程秩序に守られていた日本。火事場泥棒もあったにせよ、そのモラルは世界に賞賛された。
非常時こそこのモラルが秩序を生む。
でも、守る必要が本当にあるのか定かではないルールもあるのではないか。一応決められているけど、実際守る必要はないよね?というようなこと。それらの是非を自問自答する創作です。
どういう事かというとね。
海外旅行に行くとさ。泥棒とか強盗とか頻繁にあるでしょ。それはさ、見つからないからするのさ。見つからないのに、お金がないのに、明日の食い扶持がないのに、強盗をしない理由がない、泥棒をしない理由がないのね。
日本以外の国の危なっかしい場所では特に、
「見つからなければオッケー」でしょう。それはそれにより多少でも貧乏から抜け出せるからであり、多少でも満たされるから。
日本に秩序があるのは裕福だからであり、その余裕が心の余裕となっている。
インドは割り込みしない列なんかないし、中国も有名ホテルでもカメラなどの高価なものを忘れ物したら二度と帰って来ない。それを困った人たちだ、と嘆くのは日本人というブルジョアのとんちんかんな価値観でしかなく。
そういう世界の局所を見て回っていると、人に迷惑をかけないのに、一所懸命ルールを守っている日本人がコミカルで仕方ない。バッカじゃねーの?と思う事がしばしばあって。それが今回の芝居を作ってみようと思ったきっかけです。
それは、最近の「価値観はそれぞれであり、本人がそれで良ければそれが全て」という大きな主題でもあります。「ヒポクリティカル・アイランド」もそうですしね。
「それに慣れているからそれ以外が嫌」というのも、とてもくだらないと思っていて。
酢豚にパイナップルなんてあり得ない!という人いますよね。
でも、タイでは、餅米に暖めたパパイヤと絡めて食べるデザートがある。日本にはおはぎもある。仙台にはずんだ餅がある。枝豆を甘くするなんて!という人もいるかもしれない。
ちゃんとしておきたい価値観もある。
テーブルの上は綺麗にした上でちゃんと台ぶきんで拭いてからご飯を並べる。でも、忙しい現場ばかりだと、隣で台本を広げている人がいてもそこで弁当を食べられるように感覚は鈍くなる。僕は、おしっこしながら片手におちんちん、片手におにぎり食べた事もある(生放送中)。それはやはりいくらなんでも、と思う。
汚いものを食べているインドの人なのに、左手はもっと忌み嫌う。この価値観のずれをゆがみととらえて「ならばどんなことでも信じれば価値観になりその世界を描けるんじゃなかろうか」というのは最近の作風の一つの特徴かもしれないです。
今回はそんな中から疑わずに「くそまじめに決まりに従う」愚行を描きます。ご期待下さい。

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