よっしゃ、書き上がりっ☆

台本を書き上がりました。
ちゃんと予定していた時期(公演一ヶ月前まで)に出来ると、嬉しいものです。ずれると、その分、自分が大変になるだけなので、もっと早めたいけど、やはり公演という目的がハッキリしていてその時期とメンバーが決まっているものであるが為に、少しは「稽古で確認」してから書きたい。
でも、今回は、確認せずに書く「良さ」も多少は理解した。
どういう問題かというと……。


稽古をしながら書ける利点は、
■役者がその役を演出家が満足できるような形で昇華出来るのかどうかを確認しながら書ける点
がなんといっても大きい。特に初手合わせの役者だと、その役者さんの武器や不得意とすることを理解した上で、あつらえて台詞を書ける。喉が強くないなと思えば叫ぶ台詞を減らすし、サ行の滑舌が悪いなと思えば、サ行の台詞を入れない。笑った時と無表情のギャップが魅力的ならそれを入れようとするし、普段は美人なのにぼーっとしてるとバカっぽいならぼーっとさせないようにしてキュッキュと磨きを掛ける。当て書きとはそういうもの。
そうやって考えると、確信を持ちながら書ける利点が大きすぎて、稽古をしないで書く事の利点なんてあるのだろうか?と思いがちだが、そうではない。それを今回痛感。
今、新人をなんとか育てようとしている劇団ビタミン大使「ABC」では、劇団員の演技力の底上げが急務。というか、少しはそういうことを考えないとね、と。となると使うしかないわけで、そうなると、稽古しながら書くとなると、「えー、こいつダメなんじゃねーのー」とか「やっぱ厳しいかぁ」と初見の台詞読みとかで判断して出番を削りがち。
でも、とりあえず、書いてしまえ、となると、「できっかなぁ」と思いつつも出番を書くので、言えない台詞を削る事はあっても、とりあえず「誰でも出せる」という利点がある。これは劇作家としては知ったこっちゃないけど、座長としてはとても嬉しい。だが、演出家としてはとてつもなくはた迷惑な話。困るのは演出家ですから。で、全部同じ人(僕)ってことになると、んもー、むぎゅー、と悶々するぐらいしか道はなく。んもー、僕のバカっバカっ。と後悔先に立たず。
何しろ今年は新人を使う、ということをテーマにしている部分もあるので、ま、いっか。と。
勿論それ以外にも作品のテーマ以外に芝居作りのテーマもあるんですけどね。役者さんたちにはお伝えしましたが、さすが理解が早く、5秒後にはそうなってました。ああよかった。
明日、もう一回推敲してからみんなの分を印刷します。
まー、でも、これは、音楽家の磯田さんに対して感謝すべきだなぁ。磯田さんと土曜日のラジオの前に音楽打ち合わせのスケジュールを入れていて、まるで普天間基地移設の時期についてのアメリカとのやりとりみたいに、
20日(土)もしくはそれ以後。
なんて言い方をしていたんだけど、こうやって無理矢理決めると、(もしくはそれ以後)なんて保険をかけておいても、なんとか頑張るもんですね。そして、何より、気づくと磯田さんが書き上がった所までの音楽を全部完成させちゃっている!という。このプレッシャーは大きい。ぐおおおおっ。
「へいへいへいへーい。もうできあがっちゃったぜー、作家さんよーぉ。時間持て余しちゃってるぜ、ベイベー」
と声が聞こえてきそうで、それもまた頑張れた要因でもあります。
この四月の改編は終わる仕事と始まる仕事がどっちも複数あって、大忙しだったけど、これでとりあえず、一安心でごわす。明日無事に配布出来れば、自分へのご褒美としてチャンピオンズリーグのバルサ戦を見るっす。
ほんじゃあ、今日の一曲。

Irma – Letter to the lord (Clip Officiel)
irmaだよ。いいよねぇ。最近は年を取ってきたので、こういうどんなにボリュームを上げても、耳に殴り込んでこない歌声に惹かれます。まぁ、夜とか仕事の休憩時間とか、頭を休める時しか音楽聴かないからかなぁ。

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