宮川です。あけましておめでとうございます。
去年は12月にアトリエ公演で、いくつかの挑戦をしてみたので、自分の中ではそれほど薄い一年ではなくそれなりに満たされました。もともと演劇の後に映画が出来て、テレビが出来て。なので、それらに敵わない事を舞台でやろうとするのはおかしいと思っている所もあるので、じゃあどうしようこうしよう。なんてことを考えていこうと思います。いや、そうあるべきでしょ。そう考えない限りは、「テレビ脚本家の下積み」の場になってしまうからね。まぁ、そんな雰囲気も今はあるけど。自由に作っている演劇人の創作物は本当にヒリヒリする程刺激的。そういうのに出会えた時は嬉しいよね。
僕はラジオも長く携わってきておりまして(こんなに長くやるとは思わなかった)、
最初始めた時にご一緒していた人がラジオからいなくなっているのにまだ自分がやってるってことが驚きでもありますが、好きなのでよしとします。このラジオってヤツも、演劇のさっきの話と同じで、ラジオがあって、テレビが出来て、そっからネットが出来て、とどんどん抜かれて後塵を拝してる。仕方ないけど悔しい。
なので、兼営局(テレビ局+ラジオ局が一緒の局)でラジオ番組に携わる時も「テレビ」ネタはあまりやらないようにしている。ドラマの話もあまりしない。大体、テレビを見ないようにしている。だって盲目のリスナーはお得意様だものね。
テレビを見ている事を前提にラジオで「テレビドラマとかの事を喋る」というのは、山梨のラジオで「このラジオ番組で放送時間中に始まるテレビ番組の宣伝告知をする」のと同じぐらい筋が通っていないような気がするのね。そのラジオ番組は3時30分までなのに3時ぐらいに始まるテレビ番組の宣伝をゲストとして出演者を招き入れてするコーナーを急遽作る姿勢にはビックリした。キチガイですか?って訊いちゃったもの。このオモシロ話を東京のラジオADに話したら、彼は20台半ばなのに「テレビの視聴率調査週間だから仕方ないということなのでしょうけれど、せめて録音素材として宣伝するという苦肉の策さえ思いつかないんでしょうねぇ」と一蹴されてて面白かった。局内編成部制作部全員がこれに気づかないし、それをおかしいと思っていない。インド旅行に行った時以来の「価値観の違い」というより「価値観の不在」を感じた覚えがあるけど、ラジオでテレビの話をするのはこれと同様だと思うのね。
たとえばラジオで「あまちゃんってドラマ面白いよねぇ」と言うのはいくら話題になっているとはいえ、「あまちゃんが放送されている時間はラジオを聞かなくていいですよ」と間接的に言ってるようなものだものねぇ。いや、仕方ないのはわかりますよ。共通の話題があった方が話に広がりがあるしね。全部、パーソナリティの個人の生活周りのフリートークだと時間も埋まらないし「自分星人の俺俺番組」を延々と聞かされることになっちゃうからさ。にしても。ね。
ちなみに僕が困った挙げ句にしているのはスポーツだけはテレビとネットもしくは現場で見る事が出来るので取り扱うようにしている。もうテレビを見ている事が前提になるので、同じようなもんなんだけどさ。でも、ネットはまだ「オンデマンド」だからライバル視する上で、それほど敵意むき出しにする必要がないでしょ。なんか嫌なんだよね。ラジオはテレビには敵わないって諦めちゃうのがさ。どうやったらテレビを倒せるだろうかを考えながら模索しながらやる蜂の武蔵みたいなのがいたっていいんじゃないのかって思うわけよ。
アリが象を倒す。そう「空飛ぶタイヤ」みたいにね。
そうやって考えると俺みたいなクソオヤジがバトンから道端ジェシカを奪取する可能性だってないわけじゃないのよね。願うのは自由だよね。ただ、こっちは演劇やラジオのように「具体的にどうしようか」作戦も練らなければ、努力もしてないけどね。ごめんジェシカ。片手間で。
今年も宜しくお願いします。