寺川綾さん銅メダルおめでとうございます。逃げるのは簡単だ。そういうことを教えられている気がしますね。
略歴
大阪府大阪市出身。水泳は3歳から始めた。地元を本拠地としていたイトマンスイミングスクールに入り、そこで頭角を現し、選手コースで力をつける。クラブの先輩には千葉すず、その夫でもある山本貴司、同じ種目の選手である中尾美樹(シドニーオリンピック競泳女子200m背泳ぎ銅メダリスト)がおり、彼らは学校の先輩ともなった。特に中尾は、引退後も大学職員として寺川をサポートし続けてきた。
高校時代
2000年4月、近畿大学附属高等学校入学。高校2年生だった2001年、福岡市で行われた世界水泳選手権に出場。中継を担当していたテレビ朝日の番宣CMに出演した際に照れながら言った「声援ください」の一言で一躍注目を集め、後に”ライバルである一方で良き親友”という関係となった同じ種目の伊藤華英とともに、美人女子高生スイマーと言われた。2002年に横浜市で行われたパンパシ水泳では、200m背泳ぎで2位に入り、自身初の国際大会でのメダル獲得となった。
大学時代
2003年、近畿大学法学部に入学。大学進学後もクラブには一応籍を置いていたが、学校側の方針により日本水泳連盟には「近畿大学の学生」として登録して大会に出場していた。また、在学中は大手英会話学校ジオスのコマーシャルにも出演していた。
大学2年生で出場したアテネオリンピック (2004年)では、200m背泳ぎで8位入賞を果たす(この時銅メダルを取ったのが中村礼子)。しかし、その後は激しいライバルとの戦いの中で敗れ去る状態が続いた。事態打開のため米国でトレーニングをするなど努力を続けたものの、2006年シーズン(2007年3月の世界水泳終了まで)は、ついに日本代表から漏れた。この悔しさをばねに、北京オリンピック出場を目指した。
ミズノ入社後
大学卒業後はミズノに入社し、陸上競技の室伏広治らと同様、ミズノの社員選手として競技を続けることになった。ミズノは2007年5月にSPEEDO水着事業から撤退し、翌6月から自社ブランドの水着事業展開を始めたが、寺川は他の「社員スイマー」とともに「ミズノスイムチーム」の結成に参加。以後はこの名義で大会に参加するとともに、社員として自社水着の開発目的でのテストスイムと、宣伝活動を行っている[2]。
2008年4月に行われた日本選手権では、中村礼子と伊藤の前に100m、200mとも屈する形となり、2大会連続のオリンピック出場はかなわなかった。入社初年度のミズノ水泳部の女子部員が寺川だけで、商品開発のための「テスト・スイマー」としての泳ぎが優先され、自分のための十分な練習時間が取れなかったためではないかとみられている。
その後、平泳ぎの種田恵がミズノに入社することになった。それを受け、商品開発目的で泳ぐことの負担が軽減され、自分のための練習時間や水連幹部の平井伯昌コーチ[3]の教えを受ける機会を増やせるようになり、復活の兆しを見せ始めた。
2008年12月14日、第13回高岡市水泳スプリント選手権大会の50m背泳ぎで、26秒73の短水路日本新(当時)を記録[4]。2009年1月のKONAMI OPEN 2009では50m背泳ぎ28秒11、100m背泳ぎ1分00秒53と共に自己ベストを更新[5][6]。2009年2月15日、競泳短水路の東京都記録会の50m背泳ぎで、26秒40の短水路アジア新をマークした[7]。
2009年4月に行われた日本選手権では、100m背泳ぎで59秒67と初めて1分を切り、7年ぶり2度目の優勝を果たした[8]。50mでも予選で27秒94[9]、決勝で27秒78と連続で日本記録を更新して優勝[10]。200mでは完全にライバル関係へと変わった伊藤を破り、”背泳ぎ三冠”を達成。ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。
2011年7月に上海で行われた世界水泳では、100m背泳ぎで5位入賞、50m背泳ぎでは27秒93の記録で2位に入り銀メダル。世界選手権で初のメダル獲得となった[11]。
ロンドンオリンピックで銅メダル獲得
2012年4月に行われた日本選手権では、100m背泳ぎで59秒10の日本新記録で優勝してロンドンオリンピック代表に選ばれた[12]。 5月のジャパンオープン100m背泳ぎでは自身の持つ日本記録を0.02秒上回る59秒08で優勝を果たした[13]。 さらに、200mでも自己ベストの2分7秒84で優勝すると、50mでは自身の持つ日本記録を0秒02更新する27秒71で優勝を飾った[14][15]。
2012年夏のロンドンオリンピックでは、女子100m背泳ぎ決勝で58秒83の日本新記録ならびにアジア記録で銅メダルを獲得。自身2度目のオリンピック出場で初のメダル獲得となった。また、競泳競技最終日の女子4×100mメドレーリレー決勝でも、総合タイムでそれまでの同種目の日本記録を2秒近く縮めた日本新記録の3分55秒73で銅メダルを獲得。日本の女子競泳選手で27歳でのオリンピックのメダル獲得は、北京オリンピック銅メダリストの中村礼子の26歳を上回り、最年長記録となった[16]。
2013年7月にバルセロナで行われた世界水泳では、100m背泳ぎで59秒23の記録で3位に入り銅メダル。
主な戦績
- 第9回世界水泳選手権福岡大会(2001年)
- 女子200m背泳ぎ 8位(タイム:2分14秒12)
- 第9回パンパシフィック水泳選手権横浜大会(2002年)
- 女子200m背泳ぎ 銀メダル(タイム:2分12秒28)
- アテネオリンピック(2004年)
- 女子200m背泳ぎ 8位(タイム:2分12秒90)
- 第14回世界水泳選手権上海大会(2011年)
- 女子50m背泳ぎ 銀メダル(タイム:27秒93)
- ロンドンオリンピック(2012年)
- 女子100m背泳ぎ 銅メダル(タイム:58秒83、アジア記録)
- 女子4×100mメドレーリレー 銅メダル(総合タイム:3分55秒73、日本新記録)
- 第15回世界水泳選手権バルセロナ大会 (2013年)
- 女子100m背泳ぎ 銅メダル (タイム : 59秒23)