とまぁ。実は、うちのブログは、去年から、絵文字を使えるようにしていて、その絵文字を自分で作成できるので、上記のように、gifファイルを入れ込んで、オリジナルでパッと入力できるようにしたんですけど(携帯では見えないが)、考えてみたら、それの使い方、入力の仕方を劇団員に説明していなかったから、誰も使っていないことが発覚。
劇団員諸君。PCでの入力画面の上の右端「笑顔マーク」をクリックしてくれたまえ。それで選べるのよ。
なんて、業務連絡系はさておき。だんだんと、芝居の書き終わりが近づいて参りました。仙丹とエリクサーの時もそうだったけど、書き終わるのはとても悲しい。遠距離恋愛の相手と別れて新幹線の時間が迫っている若人のような気分。遠距離恋愛なんてしたことないけど。芝居は書き始めると終わらせなければならない。例えばさ。番組だと立ち上げて軌道に乗せて、抜けて人に任せて別の番組立ち上げる、なんて事できるよね。放送作家とかそういう人いるし。ディレクターやプロデューサーもそう。何しろあの人、立ち上げにはいてほしい、といった。芝居の場合はそうはいかない。というか、そうしたいワケでもないしね。自分で書き始め、自分で終わらせないとならない。
木曜日の後の稽古だったので、今日はみんな久しぶりだった筈なのだが、週末は台本を書き進めていたので、僕の頭の中には、みんなの顔が動きが声が蠢き合っており木霊しておりましたので、まるで久しぶりという感覚ではありませんでした。いよいよまとめに入ります。いつも通りの一筆がき。頭の中で整理して構成組み直しはしない。書いてしまった後に構成を変えようなんて事になったら、細かく張り巡らせた伏線の矛盾を探すのに3日ぐらいかかってしまう不合理が発生するし、内容矛盾以外の登退場のタイミングを計ったり、着替えの時間を計算したりなんて事の裏での気遣いもやり直さないとならず、まず書き直せない。最初から書き直した方がいいぐらいになってしまう。
でも。この一筆書き(と勝手に俺が呼んでいる)が出来るのは、一重に役者のお陰なのであります。稽古をしながら書く、という恵まれた環境にあるから出来る事なのであります。顔を見て、声を聞いて、できあがった部分までの調子を見て次を書ける、という安心感。書いたものは「あの人なら必ず出来る」という信頼感。←これは正確には、信頼しているのではなく、信頼できないと書かない、という不信感の表れでもある。特に忙しい役者の皆様、このような「書きながら稽古」に立ち会って下さって、本当にありがとうございます。なので、ハッキリ申しましょう。全部が当て書きなので、ミスキャストが皆無なのであります。全ての台詞はあなたに誂えて用意されました。あなたがこれから毎日何度も何度も口にする台詞の一文字一文字全てが、あなたの為に誂えられたものなのであります。あなたにしか出来ない台詞であることを誇って臨んで貰えたら嬉しゅうござる。しかも「今の」あなたにしかできない。というね。
芝居づくりの大変なのは「なんとなく形になった」ように見えてから「ちゃんと」形にするまでがもの凄く大変、ということ。8割できた、ように見えてかあ10割にするのに、3週間は確実にかかる。その地味な努力と反復の辛いことつらいこと。口内炎は出来るし寝ても疲れがとれなくなる。美しかった共演者の女優さんも肌荒れが激しくなって、唇の端におでき作って稽古場来るようになる。100年の恋も冷めまさぁね。演出家(俺か)は無精ヒゲが伸びて、復活の日みたいになっていくし、食事休憩も刑務所のような静寂に包まれるような禁欲的な雰囲気に変化していく。何度もやってわかってるけど、またその時期がもうすぐ来る。でも、初日の幕が開く時の武者震いが必ず待っていてくれるので、しょーじきヘでもないのであります。
緊張で下痢して、体調崩して。なのに。なのに。
なんだか僕らの損得勘定って、ちょっと人とズレてるような気もするね。きらいじゃない。