濃厚接触者850人

モリエールという作家は大好きです。 “濃厚接触者850人” の続きを読む

(感動)無観客ライブ支援

無観客ライブ配信支援。おお。なんと、大阪府。やるなぁ。
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見ている話(宮川)

本日、観に来てくれた女優と話して気付いたが、 “見ている話(宮川)” の続きを読む

14日初日だすね。

宮川賢です。稽古順調で、この時期に下痢をしないという非常に恵まれた環境にあります。こうやって考えると、下痢は「自分が台詞を覚えられないからなっていただけ」なのではないか?と思えてくる今日この頃(ううむ)。

奈良俊介分する柊は恋愛を研究していた学者だったが、今は企業コンサル。そしてその立場を追われて隠れなければならない状況。物語はそこからスタート。

怒ると怖いのに、いつもニコニコしていて笑うと猛烈に愛嬌がある碧戸結香嬢。もう、この稽古でも心底「生まれ変わっても女優とはつきあわないぞ!」と決意させられた。ああ、怖い怖い。←やらせてて失礼(汗)。

大内美佳さんは、更に若くて20歳。体調悪そうにしてる時も肌がつやつやなのが「すげー」とおっさんぽく思う也。不器用そうに見える所は「今作では得をしている」と演出は思う。

山梨谷梨。先日トイレにいた変な虫をすげー顔をして捕まえていてくれたので、ありがとうと誰か会ったら伝えておいて下さい。あ、明日会うから、自分で言います。気が向いたら(←なんだそりゃ)。

moby「Porcelain」


劇団ビタミン大使「ABC」presents
トラックと海
作演出=宮川賢
2017年9月14日(木)19時開演
15日(金)19時開演
16日(土)13時開演
17日(日)13時開演/17時開演
18日(月祝)13時開演
出演=奈良俊介、碧戸結香、阪田智靖、山梨谷梨、大内美佳、宮川賢(声)
会場=大塚レ・サマースタジオ(豊島区北大塚3-25-16伊納ビルB1)tel.03-3916-2430(ファックス共)
前売=ビタ店
料金=3000円(税込)

天使エスメラルダ

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ドン・デリーロ「天使エスメラルダ」
新潮社。面白うございました。翻訳家で選んじゃう。

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シスターズ・ブラザーズ

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パトリック・デウィット「シスターズ・ブラザーズ」を読み終わりましてん。

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肝臓移植を超えて

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4月のあの日を忘れない。肝臓移植手術を乗り越えて、エリック・アビダルがバルセロナのピッチに選手としてプレイをするために戻ってきた日のことを。万雷の拍手で迎えられたアビダルは、その後、リーガ優勝のカップを同じく病気を乗り越えて戻ったティト・ビラノバ監督と二人で高々と掲げた。
肝臓移植手術はサッカー選手では初めてのことで、スポーツ選手でも極めてまれ。それを乗り越えて戻る事が出来るだなんて、それだけでも驚異的なのに、プレイをして感動をさせ続けてくれたこの数日間。
なのに、運命は酷なもので、バルセロナは丁度契約が切れるこの天使DFを幹部として迎え入れる旨を本人に告げた。そして本人は現役を続けたい意向をバルサ会長に告げて、退団が決まった。他のチームのオファーはない。だが、現役を続けたいのがアビダルの意思だった。
そりゃそうだ。戻りたくて走りたくて球を蹴りたくて病気に立ち向かってきたのだから。たった数週間ピッチに立つ為だけに一年以上も病気と闘ってきたのではない。それでも、やはりバルサはシビアな判断を迫られた。センターバックの手薄はアビダルの回復で補えると判断はせず、クールにお別れを選択。
この辺りまでは、仕方ないと思えるし、タレントが放送局とお別れするときはもっとクール。これまた仕方ない。
でも、バルサは「アビダルの為の扉は開いたままだ」とはっきり告げた。現役を辞める時が来たら、ぜひバルサでスタッフになってほしい、と。彼の6年に対しての評価はとても高い。6年のうち4年が優勝。そして病気を通じて世界中を勇気づけた。なのにお別れ。涙ながらに退団会見を行ったアビダル。本当にお疲れ様でした。ありがとう。

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公演が始まり行いそして終わりました。

宮川賢です。ばたばたしているうちに公演は初日を迎え、中日を迎え、千秋楽を迎え、稽古場でのばらしも終わりました。木曜日の本日は、トークライブを大塚でやりましてん。ふと一息。
回遊魚のように泳ぎ続けていないと死んじゃうような、そんな自分を感じます。まぁ、それでいい。先週終わった公演「煙突守とルール」は色々なことがあっておもしろかったです。考えた通りのことができたので自分の中での評価も低くないです。もう見終わって数日経って評価や印象も消化しきった後でしょうから、こうして書きますが、
丸くなることに抗う。
それがテーマでもありました。もちろん、「ヒポクリティカル~」の大人数から打って変わって少人数で正反対のことをやりたい、というのはもちろんありました。ですが、一番は、3・11以来、守りに入っているとは言わないまでも「不謹慎」や「不道徳」に対しての乱暴な挑戦を(テレビなどマスメディアではないのに)していないことへの反省です。
大人になるといろいろなことを経験して人の痛みがわかります。大学演劇だと医者と患者の会話で「あなたは癌です」「ガーン」とか(それがおもしろいかどうかは別として)安い笑いを貪りにいく人がいます。ですが、いい大人になると、そして身近で癌で亡くなる人を見送る経験を経るとそういう駄洒落は口が裂けても言えませんし、控えるようになります。
ですが、表現というものは、必ず「何かを得ようと働きかける」ワケですから、「何かを失う」のは仕方のないこと。その失うものを最小限にとどめようと「自分が知らず知らずのうちに」しているのではないか?と強く感じたのが最近なのですね。
誰がどう思おうがカンケーねーよーと思っていた僕が東日本大震災の後、どうしても「誰にどう思われようが知ったこっちゃない」となれなかった。特に「いるだけ。」の内容に関しては自分で沢山ストップをかけたが、それ以降もなんだか「ふざけづらい」自分がいて。それが嫌で、徹底的にふざけてみようと、そのふざける感覚をカラダで思いだそうとしたのが「煙突守とルール」です。癌なのに。レイプなのに。神父なのに。親なのに。医者なのに。弁護士なのに。
この契機を迎えて、人が「丸くなるプロセス」を理解しました。経験を積んで痛みを知り、それを慮って配慮する。それは当たり前のことですが、善し悪しです。何をよしとするのかは人それぞれ。
僕は20代からラジオ喋りを始めて、長い間放送局の人から多少のご指導を受けましたが、それらの9割方を無視してきました。その理由は、それを聞いてしまうと、その人と同じような平均的な一般人になってしまい、人と違った発想をしなきゃいけない!と思い続ける人からずりずりと引きずり下ろされてしまう恐怖を感じていたからです。庶民的な感覚を持つ努力とそこから下ろされずに踏ん張る努力はまた別ものです。局の人から「常識人になりなさい」的なことを進言される度に、「それは結果的にあなたが求めることにはなりませんよ。扱いやすい出演者にはなるでしょうけれど味気ないものにしてしまいますよ」と(言わないけど)お互いの目的がそうであると信じて無視をし続けました。
そんな感じです。

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まっしろい紙に好きなようにさ、

お疲れさまですっ! 本日も通し稽古をして、集中しているものの、「もっとリズミカルに言えるだろう過信病」に入ってしまい、余計なカミカミをして自戒の念が消えないまま夜になった宮川賢です。
昨日の杉崎君の提案といい、本日のなしお成さんの提案といい、あー面白いなぁと思うことしきり。
いやね、うんとね。なんつーか、役者というのは当たり前だけど劇作家よりも格段に自由の幅が狭いワケですよ。
劇作家というのは、まっしろい紙に自由に線を引いて絵を描ける。だけど、役者はその絵の中に描かれているキャラクターの「塗り絵」ぐらいしか出来ない。書かれている台詞は当然ながらそのまま言わねばならないし、ト書きに書かれている段取りはなぞらねばならない。なのに、そこで、その条件下で個性を出すこと、自分らしさを出すことは、なかなか容易ではなく。勿論キャラクターと第一印象が大きく物を言うのでありますが、大変だなぁと思う。その隙間での自由を役者は満喫している。それは窮屈で申し訳ないなぁと同情する反面頼もしい。だってそれが深くするしね。
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あ。この画像は台本に貼り付けた画像です。なぜ貼り付けたかって? それは、おそらく、そのぉ。まぁ、ね。あはは。

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またやってしまいました

  一蘭というラーメン屋さんは、完全に隣の席と仕切ることで、女性が一人で入りやすくするという画期的なシステムをとり、急成長を遂げたチェーン店。
  話は聞いたことがあったが、一度も行ったことが無かったので、昨日行ってみた。ほほお。そういうことか、と。覗き部屋みたいだなぁ、と社会勉強。ラーメンという食べ物は色々種類があって何がメインストリームなのかは時代で移ろう。好みも様々。細かく味付けをリクエスト出来るというのは、率直にいえば不要です。つまり「この味でこそ食べてくれ!」というものでないと食べたくない。適当にあしらわれているような気がしてしまいますね。インドカレーのお店でも辛さを選べるところがあるけれど、そこも二度と行かない。
  で。今日も初めての体験をした。

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