今日で、今週の稽古は一段落。日曜日からぶっ通しだったので、疲れた人も多くいたことでしょう。だが、芝居は緊張感の持続。その心労に耐える戦い。日々の稽古を舐めない方がいいよね。自戒含む。
昨日は、自宅に戻りましたが、今日はウィークリーマンション泊まりです。まだ薬莢が部屋にあります。これ、警察や管理人に踏み込まれたら、かなり厄介ですわよね。
今日は、3という、中盤の一部20分ぐらいのシーンを稽古した。久しぶりだったこともあり、まだまだだった。これからよくなっていくといいなぁ。なんて他人事はさておき。
今回はモリエールっぽいことをしてみた。それは、演技者が自分のテクニックとノリを以て克服しなければならない箇所を随所に設けた。モリエールは読むとわかるけど、コント作家。しかも、演芸作家であり、演技者が遊べる要素をわかって書いている。自分に当て書きしている部分なんてなぁ、冗漫で冗漫で(笑)。座長芝居丸出しで。それを人にフッて、おこがましくて自分では出来ないことを人にやらせるタイプの僕は、今回わりとそれを入れた。
基本。演劇における「台詞」は「説明」であり、それを丁寧に舞台に並べれば、役者の仕事の半分は終わったに等しい。しかし、それだけではならない台詞やシーンを書いてみると、「出来なきゃ」やる意味がないシーンとなるので、役者はやりがいがある。折角こういう劇団に出る機会なのだから、と余計なお世話で「変な事やらされたぁ」というおみやげでも持って行って貰えたら(笑)。と。
これは、僕の考えですが、役者は「ただ技術の提供」だけをする芝居との関わり方を経験すると、成長がピタリと止まる。逆に、どんな芝居でも自分の課題を作りクリアを目指すという(裏での)コンセプトがあれば、成長し続ける。「自分はできあがった役者である」と思われないようにすることは、役者と触れ合う上で演出家の普遍的仕事だとも考えている。ただ技術や容姿の提供だけに留まるのは、長い目で見ればその役者を殺すようなもの・・・とも思える。大げさだけどね。
ただ。無駄に律儀に(と自分で思っているだけでただのお節介なんだけど)なる癖があるので、もっともっと(見た目通りに)クールになってもいいのに、と思う事も多々あるけれど。ま。いーじゃん。
演出家の仕事は「全員に常に課題があると自覚してもらう」状態を作り続ける事だ。簡単な役を書いてしまうと、すぐに完成してあとは人の演技を作るののお手伝いになってしまう。課題があるから、緊張感をもって臨める。それは、子供が社会人として完成して結婚して子供を作ってまるで問題ない人生に突入したのを見届けて親がボケ始めるのと似ている。
そして、公演までに必ず克服できる課題を与え、公演初日に自信満々で臨める精神状態を作れれば、それはピッタリ決まったいい仕事となる。297円の買い物をして、小銭が297円で、ピッタリ払えたような嬉しさ。
そういうのが苦手な演出家の人に、簡単な緊張感の持続方法を伝授しよう。これは、ホントに裏技中の裏技なので、役者にバレないように気をつけてね。役者の緊張感をなるたけ持続させる為の簡単な方法は。それは、いつまで経っても「通し稽古」をしない事です。