読み合わせ中。

水曜日、木曜日、金曜日。と三日間、台本の読み合わせ。二日が過ぎ、伝えたい事をポイント毎に役者に伝える。役者にもお客さんにも失礼なので、初演をなぞるつもりは毛頭ないが、自分の好みの普遍は介在。
この時期。つまり稽古序盤は、役者というチョロQのネジを巻いて、「どっちに向かって」走って貰うかを決める。そしてリリースする。そんなタイミング。
方向性を伝えて、あとは、役者に委ねて発酵を見守る。チョロQの走りが止まった頃に、また方向性を決めてネジを巻く。やってることはそれと同じで。医者が処方するけど治すのは患者本人であるように、道を教える程度。疑わずに「まずはこれでしばらくやってみよう」そんな構え方も必要だ。
よく短気な演出家が、やらせてみた演技に満足がいかずに「違うなぁ。じゃあこうしてみよう」「違うなぁ。じゃあこうしてみよう」とやる人がいる。変えてばかりでもしょうがない。舞台役者が作るのは、その作品にズケマグロみたいに自分の体を浸すことで「出来上がる」熟成要素である。繰り返すことで見えてくるものは確実にある。これを理解している人は意外に少ない。
多少変かなぁと思える演技も、繰り返してると馴染む。その頃までは判じない。そこまで待ってみるのも演出家の役割だ。明日の読み合わせが終わったら2週間の休みに入る。その間に台詞を入れて、演技を形にしておいて貰う。その方向性を間違わずに伝えないと、と思いつつ。
また。集団創造という異文化も演劇の特徴であり。大きな声を出すから、薄暗い倉庫か地下のスタジオが稽古場の常だ。ORSも然り。地下で壁が黒い(山梨たちにペンキで塗らせて大家に怒られたけど)。ここに一日中いると気持ちがすさんで来る。その精神変化との向き合い方も早くなれた方がいい。休憩で外へ出て太陽を見る。閉塞感を感じないように自分にとってのヒーリング効果の高い仲間を見つけて(俺で言えば、今回の大平くんみたいな笑)みるのも手だろう。芝居の集中力って、結構大変なので、実は家に帰るとすぐにヘトヘトになっている自分に気づく。
体調第一だから、頑張りすぎるのもよくない。過労に陥ってきたなぁ、と思ったら、頑張りすぎないで「いーや今日は台本見ないで寝ちゃえっ」という大胆もケースによっては必要だ。


詞先、曲先。という言葉があるらしい。シセン、キョクセンと読むのだそうだ。歌詞を先に作って、それに曲をつける。もしくはその逆。
これまで、僕は役者を見て、芝居を書いてきた。役者が決まると、その顔写真を切り抜いて指人形のようなものを作って、机に並べる。出入りや着替えの計算をそれでやって、「だから、ここは上手に数人余ってるハズだから、この女優の早替えを手伝って貰おう」とかの段取りを束ねながら台本を書いてきた。
だから。全員がハマリ役なのは当然で。それは、戯作者と演出家を一人でやっている強みだ。そして、その作り方が一番いいのだろうと信じて止まなかった。が。
今回は違う。詞先ではなく曲先だ。「台本が出来上がった状態」に「あてはめるように」キャストを捜していく。この手のパターンだと、妥協が入りそうだが、今回はビックリするぐらい、現時点では満足度の高いキャスティング。出会えるもんなんだなぁ。
だからせめて舞台の上でぐらいは。稽古場はすぐに疲弊して口内炎とか口唇ヘルペスとか出来ちゃって、百年の恋も冷めるような所を見せ合うのだろうけれど。だからこそ。せめて舞台の上でぐらいは。とびっきりのイイ男、とびっきりのイイ女でありますように。自分ががんばらんとね。はい(自戒)。
今日は早朝からラジオ番組の収録~クロスプラグをする女性パーソナリティと顔合わせ~政治評論家の方と打ち合わせ~稽古で読み合わせ~ネット番組生放送、と忙しかった。稽古場へ向かうタクシーの中で寝ちゃったし。稽古遅刻しちゃったし(スイマセン)。
あ~俺も早く台詞入れたいぜ。でも、パンフ版下作ったりチケットデータ入稿したりポスター印刷発注したり、色々やることあるぜ。と、タンツボみたいに断片的にぶりぶり書いたぜ。ダム決壊したツイッターみたいだぜ。おやすみブロガー諸君。

ご存じホルモンの爪爪爪! システム・オブ・ア・ダウンなきあと、亮くんしかいねーっ! 姉さん結婚したのマジしょっくーっ! 自分を元気にする用に貼り付けとくっ!

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