ちょうど、家でチラシのイラレデータを作成していたのですが、大きな揺れを感じて、取り急ぎ携帯電話の充電が持つ方のドコモ携帯を手にして一階に下りて玄関に行った。玄関の扉を開けた状態で揺れの終息を待とうとしたところに、娘が小学校から帰宅。抱きしめておさまるのを待つ。向かいの家の車がわさわさとまるでカーセックスでもしてるかのように大きく揺れているのが怖い。
揺れの中で娘にランドセルをおろすよう指示する。近所では奥様方の悲鳴が響く。ここは東京都練馬区だ。宅地と商業地の境目にある我が家なので、近くには建坪率が高い雑居ビルも多くある。SRCなのにこの揺れ? と信じられないとばかり外へ出てくる人。
なんとかおさまり、家に入る。ガスがつかない。倒れた家具などをチェックする。大きな問題はない。犬が怯えて吠え続けていたので、娘に抱きしめるように指示して二階の仕事場に戻るとテレビが倒れてCDラックが倒れて、中身が散乱していた。コードが抜けて何かと厄介なことになっていた。
それを直して、テレビがつくかどうかを確認する意味でスイッチを入れた。すると、そこには想像を遙かに超えた惨状が際限なく展開していく様があった。各放送局から「無事ですか?」の問いがメールで来る。無事です、と返事。
しかし、考えてみれば、このメールさえ、トラフィックを圧迫するので控えた方がいい。だが、放送局は確認も仕事だ。それは仕方ない。老親に電話を入れて安否の確認をする。妻の実家の秋田は電話が繋がらない。なおも揺れは続く。
テレビでニュースをチェックしながらCDラックを立てる。そして直す。結構な時間がかかる。ただのCDラックひとつが倒れただけで、こんなに面倒だった。ということは、CDラックなんてレベルではない震源地に近い地域は、これから本当に長い復旧への道のりを歩む事になる。とてもとても長い作業が待っている。だが、それは必ず通らないとならない道。アリがイタズラな子供に小枝で巣を荒らされてしまった後にせっせと巣を作り直すのと同じく、我々は自然に立ち向かう。いつになっても絶対に倒せない相手に立ち向かい続けねばならない。
阪神淡路で学んだことはなんだ。無闇に被災地に向かわない。がんばって、と言わない。ボランティアもしっかりしたルートで個人行動を控える。寄付も同じ。物資支給も同じ。「自分がしたいことをする」のではなく「相手が必要とする」ことをまずは考えるべきだ。助けたい、と思うのはエゴであり、何が出来るのか、それが相手が必要なのかを考える事が必要だ。
無事な場所に住む日本人が出来る事。それを考えよう。電気を使わない。携帯の利用を控える。だが、情報はしっかり入手する。また、東北の人たちだけではなく、関東でも恐怖とショックで落ち着きを失っている人もいる。「それぐらいで何を」と思わずケアしたい。
何度も放送される東北放送の制作部の揺れる映像に、胸が苦しくなる。TBCのみんなは無事だろうか。プロ意識を出し過ぎて自然の返り討ちに遭ったりしていないだろうか。東京でマネジャー業をしていたが先日被災地のすぐそばにUターンで戻ったあの女性は無事か。TBCのアナウンサーのみんなは。営業のみんなは。制作の編成のみんなは。制作会社の彼は。東京から仙台のラジオ制作会社に入ったあの娘は。きったない車で仙台駅まで毎週僕を迎えにきてくれていたあのスタッフは。気になるけど連絡はしない。迷惑だしお互いマスコミ人だから。しばらく我慢しよう。そして、自分にしか出来ないことを、自分が今できることを考えよう。
劇団員や役者の安否は気になるがそれもまだ我慢だ。火曜日の稽古で会えば判る。今からスタジオに行く。地下なので、機材が心配だ。これら全てをチェックしてみる必要がある。また、水、電気、ガスの異状をチェック。
宮川がツイッターで呟かなくなったので、安否を気遣う方々からの連絡が多いので、まとめて無事をここにお伝えします。