旧作に流れる危険。

 最近よくないなぁと思う事があって。
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 これは大好きな映画「明日に向って撃て!」ですがね。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。そしてキャサリン・ロス。このコンビの映画はホントにかっこよかった。この映画も冒頭のサンダンスが銃を抜く所なんか未だにシビれますよねー。
 いえね。


 よくないなぁ、と思う事は、
 最近、どんな作品を楽しむにしても、旧作に流れてしまいがちで。これって、年喰った証拠だなぁ。と。
 保守的になってんじゃねーの?と。
 CDは相変わらず、というかせめて小説とCDぐらいはなんとか色々なものを読もうと思っているのですが、映画を借りてみよう、となると、なーんか、ハズすのが恐くて、旧作を借りちゃうんよね。見た奴。特に中学の時に見たものとか。ビックリしたのは、ナッシュビル(ロバート・アルトマン)が普通にレンタルしてた。とほほ。見たくてWOWOW入ったのにっ!てな事もがっくり思い出す。
 CDも、そういえば、古いのをよく聞くなぁ。いかん。ホワイトアルバムとか聞いてるし。うーん。これは、保守的になってきた証拠か。それとも疲れているからか。なんだろう。年を取ると保守的になるでしょう。
 新しい事を始めるなんて気持ちが薄れますよね。
 それは、事業を始める、とか、会社をやめて人生をリセットするとか、そういうことは同年代の奥さんだと「今からそんな無理にやらなくてもいいんじゃないの」という具合。
 とりわけ、年を取る、ということに抵抗があるワケじゃないのよ。仕方ない。でも、こと文化的なものに触れる上では、新しいものをドンドン取り込んで自分をサビさせないようにしたい。女性の美しさでいえば、熟女でもとても美しく素敵な人っているよね。そういうものを目指したい。勿論、イタくないように気をつけないとなぁ、とは思うけどね。
 新しいものを否定したり、拒絶したり、というのは、物を創出する仕事だと、足枷にしかならないから。自分の作風はこうです、なんて決めてかかることはその時点で自分の可能性の芽を摘み取っている。それは勿体ない。勿論、戦略的なことで何かを売りにする、なんてことはあるだろうけど、本質的な部分ではかくありたい。
 それは、ものを作る、というような仕事をしているから強く思うのであって、大抵の人は年を取って保守的になっていくことに何も抵抗はない。もうすぐ震災一年だけど、思うのは、地方にはお年寄りが多い。それは中央集権を推し進めてきたからだ。勿論、それにより長足の進歩で発展したのが我が国。反面、地方は置いて行かれた。ということもあり、お年寄りも多いし、時間も東京より遅いと感じる。地方に行くと如何に自分がせっかちかを痛感するし。だが、そういう日本なので、「引っ越し」はしたくない。元の家に戻りたい。戻れません、とは言えない。実際に「戻れない」となった所でどこに行くのか、の受け入れ先の問題もある。移動に関してどのぐらい保障すれが、なんてこともある。色々あって、原発事故の後、人は動けないままの人が多い。生きている事が大切なハズなのに、生きていても、家がなくちゃあ、とか、生きていても仕事がなくちゃあ、とか、そして「変化はもう要らないんじゃあ」というようなことも手伝って、動かない。でも、それは嘘つき政府を許すということではない。

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