まぁ、仕事が好きなので、休みがなくても、それが理由でストレスが増えることはないんですけど、とはいえ、多少はガッカリする感覚を持ち合わせていた方がいいかなぁとは思っています。
大抵、僕が口にすることは、「そうありたい」ことであり「そうなったらいいな」ということであります。愛人欲しいなんてのもそうでしょうし、夏休みが欲しいなんてのも、そう。また、そう言う事によって、それを求める自分を演出する部分もありますし、それを求めている自分を作りたいという願いも。
夏休みなんてなくていいです、になっちゃうと、夏休みのありがたさが普通の人と同様に感じられなくて、何か表現するにあたってよくない気がします。そういうことです。
なんてことはさておき。ニンニンちくび「http:2219.jp」が再スタートしました。podcastingでコンテンツ配信を始めました。といっても、再配信ですが。ワタナベアニさん、犬山さん、宮川、石川よしひろ、アンド・ソー・オン! 良かったら、
に行ってみてチョーダイ。懐かしいです、個人的には。podcastingにしてくれー!とのリクエストを数年反故にしてましたんで、本当にすいません。
そして、夏が終われば「ヒポクリティカル・アイランド」の稽古が始まります。今、一所懸命、台本書いてます。オリンピックを見るのを我慢してます。本当残念。役者の出演者のみんなには、僕の分まで見て、酒を飲んで騒いで盛り上がって、楽しんで欲しいと切に思います。僕はユーロを楽しんだので、五輪は基本スルーの方向です。ニュースでチラと見るに留めます。ぐじょー。ま、しょーがないっかね。
いい年齢になってくると色々思う事があります。
死生観もそうですし、これまで社会は色々変わったなぁ。てなこととか。
アルバイトしながら演劇やるなんて言い出したら、やはり親は反対しますし、デューダなんて転職雑誌は電車の中で人目に触れつつ読むなんて「会社の裏切り者」という雰囲気が僕が大学生の頃はありました。フリーターなんて言葉も出来たばかりで、乞食と同義語でした。今、ちょっとお洒落な雰囲気さえあるものね。
終身雇用が幻となった今、あー、就職しなくて良かったなぁって本当に思う。楽しい人生になったなぁ。って本当に思います。芝居やりたいのにやらずに就職して、その会社が倒産してたら目も当てられないような気がする。せめて貧しくても芝居出来てる方がいいね。
チェーン店の味。前は、チェーン店は安かろう悪かろうだったけど、今は、チェーンの方が美味しいし、安い。客の回転もいいから信頼性が高い。一軒の食堂とかレストランって入るのは「冒険」と化した。これも時代。
不景気が続いて、僕が若い頃は「リストラ」に対して「死ねというのか?!」と文句言ってる人がいたが(僕は当時から甘ったれてるなぁと思ってました、実は)、今は、それに文句を言う人は少なくなりましたよね。仕方ない、と思える時代になったのは、ぬるま湯育ちが多少自覚できた、というか。
人生における幸せについても考えます。
やはり、今の充実を最優先した方がいいのでは、と最近は思います。将来を考えたりするのは、あまり意味がない世の中のようにも思えて。最低限のことだけを考えていればいいような、それよりも、今自分が幸せかどうかも考慮したい。それの度合いが低いとどこかでひずみが出てややこしいことになる。そう思います。
会社の為にがむしゃらに、とか家族の為にがむしゃらに、なんてのは流行らない。
言葉や風俗で、かつて魅力的だったものが、時代とともに移ろっていくなか消えていくものが沢山あって、それを葬るのも時代を生きるものの運命なのだけど、多少寂しいと思う事もある。テレビゲームが当たり前だから、将棋やらない。小説が読みやすくなっているから、文語がドンドン減ってる。東京でさせボキャブラリーが減り続ける。僕が二十代、三十代の時は、それが「今」なのだから、と開き直ってラジオや芝居書きに向き合ってきたけど、四十を過ぎるとそのことに罪悪感を覚え始めて来た。
例えば永六輔さんって人がいるでしょう。かつての本を古本で見つけて読むんだけど、まぁ、それはそれは濃密な情報量で読みやすい。博識だし考え方や目線、話の立脚点、全てが濃く強い印象。文庫で買った100円の本でガーン!とショック受け続け。色々なものを伝える作業は誰かがしないととは思いつつ、今を生き今を考え続けてきたのが僕のこれまでであり、そこに後悔はないけど、なーんかなぁ、としみじみ思う最近。これは、まあ年を取った証拠ですね。
そして、年を取る事によって、自分は「人知れず」頑固になっている、ことを自覚したい。
最近の若いもんは!なんていうのは、結局老人が自分の思い通りにならないことを「人のせいにしてる」だけであって、若いもんの論理の方が「時代的」なのよね。ノスタルジーでしかなくて、自分の判る世界に「自分や社会を置き続けたいわがまま」なのよね。老人を敬う気持ちがあるからそこに耳を傾けてきたけど、自分の今後については、それほど尊重してもらわなくて結構と思っている。
戦後の復興は先達に感謝するけど、不景気からの脱却は若い人たちへの負の遺産。クソみたいな無能の穀潰しが今も会社の上層部に沢山いて、ただの給料泥棒と化して若い人たちを辟易させているけど、もうすぐあと数十年もすればそういうカスはいなくなり、ちゃんとした社会人ばかりになりますから。きっと。考えられる人ばかりになる筈ですから。それを願いたい。
老後に読みたいと思っていた本がいよいよ激増して困ってきた。ヤキモキしてきた。目が痛んだら嫌だなぁ。後で読もう、いずれ読もうと思っている本が多すぎて残念。もう読みたいなぁ。
今、秋公演「ヒポクリティカル・アイランド」を書いてて思ったのは「芝居の取材」と大義名分があれば、本を堂々と読めるってこと。少しでも関係がある!とこじつけられれば、読んでいてもサボってる気がしない。気持ちの問題ね。ま、いーじゃん。
さて。今日の一曲。
モップス「たどりついたらいつも雨ふり」
伊調馨選手、小原日登美選手、おめでとうございます。そして沢山の感動をありがとうございます!