台本書いてます。
段々と自分が豪胆になっていくのがわかります。いい年齢になってくると。
でも、それは、豪胆になったのではなく、普通の心臓にようやく「成長」したというか、これまでのビビリから通常になった、人並みにようやくなれた、というだけのことのようにも思えます。
何しろ、芝居って、役者の都合で書き直したりすると、とても厄介です。
テレビドラマをごくたまに書かせて貰う事があります。若い時はよく書いてました。でも、若手ライターなので、出演者の都合でストーリーを直したりしないとならず、そうなると、丁寧に伏線を張ったのに、連動して全部を直さないとならなくなる。それはそれは面倒なこってす。
だから、テレビドラマの書き手は(特に安い番組は)どういう直しが出たとしても即応できるように「場当たり的」なストーリーで書いた方がいいのね? ということをさりげなく学習した人たちがストレスなく仕事できていたようです。「作品」としてのまとまりを考えたりしてたら、ガッカリすることが多かったのであります。
なのだけれども、自分の劇団なら、そんなん関係なしに好きなだけ色んな伏線を用意して色んなギミックを用意して、それを台本に書いて、更に演出で広げて、なんていうことができますし、すべきです。なので、役者の降板とか体調不良とかで書き直さないとならない事になるととても凹みます。一から書き直した方が早い場合も多いです。てか、過去に何度かそういうドラマの直しをやりました。(汗)
ですから、この俳優はこのシーンを絶対に出来る!と確信を持ててからでないと書けないのがこれまででした。その代わり、確信があれば「当て書き」なので自信満々で書きますし、台詞も役者が覚えたらできあがり、みたいな公演が続きました。が、最近は、ちょっと冒険もしますし、役者に挑戦もさせます。そうなると、「ありゃりゃ、これ出来るかにゃあ?」なんて思ってたりします。
そのまま書き進めていく事がちょっと不安になってくる、というか。でも、書いちゃったら前述の通り、直すのが大変なので、役者に頑張って貰います。役者にはいいと思うのですが、今度は演出家として作業量が増えますね。その辺りが問題。
というわけで。そういう自分なのに、ガンガン台本を書き進められるようになった自分を「豪胆になったなあ」と思えるのであります。まぁ、現場の演出家がなんとかするっしょ?! いやいや、大丈夫大丈夫! チャボさんいるし! ←適当。
さて。今日の一曲。
ゆらゆら帝国「空洞です」
まるで色あせないぜ。では、また。