韓国で悲しい思いをした人のブログです。
海外旅行をすると、不愉快な思いをすることはとても多いですよね。
それは、観光客に対して「上から目線」で見る習性が地球上の常識になっているからなのでしょうか。
例えば、浅草で地図を見ながらキョロキョロ歩いている外国人がいたら、「おっ。では、案内してさしあげようか」などと勝手なお節介を思う。でもそれは、こちらの上から目線であって、それを求めているとも思えない。「ここへ来たくて来てるんでしょ? 私が住んでいる所に来たくて来てるんだよね? ここへ来たかったんだよね?」と決めつけているしょってる反応がある。
海外の人たちもみんな観光で出向く僕たちをそう思っているのかしらん。
自分が旅行に行く時の事を考えてみれば解るけど、そんなに「行きたくて行きたくて」行くワケではないこともある。時間が出来たから、とか、僕ならデイリィの番組が始まるから今のうちに!とかね。で、●●でいーや、じゃそこで!と旅行代理店でお願いしたり。
リンクを張ったブログを読むととても不愉快な気分になるけど、
人を嫌うということはやはりネガティブなことで、人生を楽しくするものではないから、無理に嫌う必要はないよね。
腹が立つ事もあるけど、自分がちゃんとした人でいる為には、そういう事実を知った上で距離を保つ大人の振るまいをしていきたいと強く思う。
直接不愉快な思いをさせられたり被ったりすれば、断固反発するけど、そうでなければ、「大変だったね」と人ごととして反応してるのが一番ストレスがないし、見聞きしたことだけで人を判断するのもよくない。
ネガティブなことを言うのは、ネガティブな人に任せておけばいいわけで、余裕をもって色々なものに触れていきたいと思う。映画を観た。芝居を見た。つまんないなー、と思わないで、いいところを見つけて「あー、楽しかった」と思う方がいい。それをつまらなかった、と声高に表明したりするのも好きじゃないし、文化を育てているとも思えない。結果、偽善的に「面白かったよー」とコメントしてても、次にその人が作る作品にお金を費やさなければそれが一番の答えなのだし、それ以上でもそれ以下でもないしね。作品だけでなくて、人も同じで。嫌いな人を作ると自分がどんどん窮屈になってしまうから、なんとか好きな人にしてしまった方がいい。回りの人をみんなリスペクト出来る素敵な人と思い込む努力をした方がいい。
それを頑張らないと、世の中には泣き寝入りしなければならないことが多すぎるからさ。
日本を嫌う韓国の人も、そうインプリントされた事が残念なのであって、それを憎む反応で返すのは、東京電力の説明で「原発は安全だし、お金も儲かるしすげーいいよね」と手放しに招致した人を「原発を憎むのと同じように憎む」のと同じになってしまうのでね。と、大人のブログに留めよう。
とにかく日本人は武士は食わねど高楊枝が出来る民族であって、気持ちを抑える美徳を持ってる。諸外国はその気持ちをストレートに出すべき指向が強いので、その差異で混乱する。言うからヒドイのでも言うのが許せないのでもなく、ただの差異なんだよね。
日本人は韓国の人を家に迎えて「でも、竹島はうちのだよ」とは言わない。それは、控え目というよりも大人しいラテンスピリッツと僕は思ってる。ポジティブな思考。「この人、竹島は自国のものって思ってるんだろうなぁ。でも、それを言うとこの人を不愉快にさせてしまうし、折角なんだから楽しめた方がいいよなぁ、と思って言わずに留める。我慢ではなくて、その場を「より楽しむ」為の思考ってことにしています。