本日、少々驚いたのは、蓮池透さんの特定秘密保護法案に反対する意見だ。何より表現者である我々でなくとも反対したくなる強引な「時期」「内容」「やり方」であるし、第三者機関も総理が司っちゃあ駄目っしょ?な話なのだけれども、それは一瞬、置いておくとしても。
僕が驚いたのは、
蓮池さんは、マスコミを「大事な情報源」としていたこと。蓮池さんは「僕らは政府からしっかりした説明を受けていると思われているでしょうが、そんなことはまるでない。外交において不要と思われる情報は一切教えて貰えない。だからマスコミで出てくる情報は数少ない情報源だ」という。
だから、マスコミを萎縮させてしまう法案は論外だ、と。その通り。
このマスコミを大事な情報源としている、という点に驚いた。そして、このことから改めて意識した方がいいのは、ラジオやテレビに出てちょくちょく意見を言わせて貰える立場にある人は、つまりラジオの番組をやっている僕は、そういう事をしていない人たちから「まぁ、なんだかんだ彼はマスコミで仕事をしているのだから、色々と詳しい事を知っているのでしょう」と思われているということ。「その上でああ言っているのだから、きっと、そうなのだろう」と含み置かれる事。
若い時にそれを意識して、その頃からずっと一環して「僕みたいな馬鹿な奴は」とか「不勉強な俺が言うのも何だけど」などと、いちいち必要以上にへりくだる事で「エラそうなことを言いやすく」してきた。特にラジオは「言い切る」事が重要で、中途半端な意見を羅列する事は見逃し三振に繋がり残念だ。どこへ球を放られても見逃しているのはよくないので、どこへ来てもとりあえず大振りする方がいい。空振りして尻餅ついたりそれで骨折したり、それにより局の人に迷惑かけることも多々あれどそれでいい。そういう持ち場だと思っている。
なので、自分は「よくわかってない奴ですよ」アピールというものは、間違っていなかったのだなぁ、と本日の昼ぐらいまで思っていたが、よく考えるとそうでもないのではなかろうか、と。僕が言う事は識者のそれとは違う事を伝えられても、僕以外の人は「識者のそれ」と同じと思われてしまうのではなかろうか?と。
それは、僕はどうしようもないなぁ。でも、司会者やコメンタリーは「仕事でわざとけんか腰で言っている」という所まで理解できるよね。なんてことを思ったり。
ともあれ、現在でも、テレビで言われている噂のようなことも「ほっとんどの人」が知らないまま仕事をしているし、それは「笑っていいとも!」終了の事実がスタッフにすら知らされていなかった事から類推できますでしょう。どっかで漏れちゃうし、漏れなくても「知らされた者が選ばれし者」になってしまうから、誰も知らない。
改編後の事も大抵の人が知らないし、急に決まる事も多い。未だに「なんであれあーなったの?」ってことばかりだ。だから、僕に急に愛人が100人出来たとしても、そしてそれが発覚したとしても、それは、ある日突然に百人同時に出来たのであって、それまでもずーっと宜しくやってたってことじゃない場合だってたぶんにあるってことだよ。
もっと言えば、テレビやラジオで仲よさそうにしているからといって、本当に仲良しな人は少ないだろうってことだよ。忙しくてプライベートで遊んでなんていられないよ。ブログで写真が映っていても、それは仲良しアピールする為に撮影したものであって、「いつもこんな感じで遊んでるんだぁ」なんて思っちゃ間違いよね。まるで遊んでないから、いつも一緒にいないから、滅多に会わないから写真撮るんよね。ブログ更新しなさいってマネジャーに言われているからがんばってるんよね。たぶん。きっと。
それにしても保護法案は駄目だ。駄目だということは解るけど、ハッキリ駄目だと言う為に必要な勉強の時間がない。
「特定秘密保護法案」
↑こんなの読んでる時間がない。
これって、流される大衆の典型だと思う。特別なる富裕層ぐらいしか「しっかり世事を勉強する」時間がないよ。俺、芝居終わったのに、これについて、半分ぐらいしか理解できていないと思う。アメリカに押し切られてやろうと切迫してるのか、アメリカから強く言われてるんでというのを口実にして九条変えたいだけなのか、他に何か理由がありそうな気もするし。沖縄も道具にされ、マスコミも利用され、民放なんて軽く与しちゃう。なんだか、自分が働いているばかりでよく解らないまま説明を受けて変な仕事に就いちゃった人と同じ流され方をしていると実感出来て無念なりよ。
でも、時間がない事に変わりない。お金がない人は時間がない。時間がないからこそ、咀嚼して飲み込むだけにして届けてくれる人がいないとならないのであって、そうやって考えるとラジオに携わっている僕がその側にならねばならぬワケだし、でもそれがしづらいとなると、もう堂々巡りになるので吐きそう。おえー。