タメ。という凄さを知った為。

去年、公演一ヶ月ぐらい前に、家族旅行で休みがあった。台本も書き上がっていない状態での旅行はまるで楽しめないとも思いつつ、ダラダラと海で浮かぶだけの旅行を満喫したが、これが奏功して芝居に帰ってきた。書きたい芝居が目の前にあるのに、あえて書かずに「タメた」為に、予想外の展開やサブプロットでの厚みをもたらすアイデアがバシバシ出てきた。ほほお。書きたい状態でも、書かずにじっくり考えると、それが良い方向に転ぶこともあるのだなぁ、と。早く書くのがいいと言うわけでもないのだなぁ、と。


で。今回もベトナム行きを決行したワケです。小説を読む時間がある。じっくりぼーっとする時間がある。景色だけを楽しむ「頭を使わない」時間がある。期待していた為か、小説を読んではアイデアが浮かび、目が疲れたらメモをとり、目の疲れがとれたら小説を読む、の繰り返しで、色んな伏線とその処理方法が浮かんだ。
劇作家は、芝居を書く楽しさを味わえる。しかし、書き始めたら最後、終わらせるという悲しい作業がある。終わらせる、という苦悩がある。かつては、プロット7割、場当たり3割だったが、最近はプロット4割:場当たり的に書く6割、としている為に(そこまで自信が出来たのではなく、単純に「書く」ことを楽しみたくなってきたので)、予想外に広がる事も多々ある。まして書いた部分を稽古して、役者の様子を見ながらスジを変えていく。魅力を見せつけられればもっともっと書き込みたくなる役になるし、逆だと退化する(笑)。役者に書かせられる事もあれば、作った役が一人で答えを出し続けることも多い。一人歩きをする、といのは本当にあるのです。書かない人は「役が書けといっている」とか「役が一人歩きをする」とかを「なーにを作家が恰好つけちゃって」って思うでしょ。ホントにあるんよ。というか、20歳ぐらいから、それは当たり前のことであります。「さあ、どう動かそうか」なんて考えない。そういうモンです。
で。今回のタメはどうだったのか。沢山書いたメモをこれから整理して、2通りあったエンディング候補が旅行で4つになってしまったが、それはエンディングを書く段階になったら考えるとして、まずは目の前の局面を見つめて書こう。芝居を書くのは神が天地創造すると同じ。全ての自由と全ての責任がここにある。

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