モリエールという作家は大好きです。
喜劇作家で喜劇俳優
モリエールは自分でも出演していた為に、台詞が楽譜のようだ。呼吸しながら読み方の指定もされているようにさえ思える節がある。翻訳を読んでいてもそれは解る。とりわけ長台詞を畳みかける所なんざぁ、「あー、こういう台詞を言いたかったんだろうなぁ」と解るし、実際に調べてみたら、やっぱりモリエールが自分で初演で演じた役だったりして、ほくそ笑む。
文学的というよりは演芸としての色がとても強いと僕は思っているモリエールだけれど、演劇がもつ時間芸術というくくりの中で、当然音楽や歌もウェイトを占める。それがとても面白い。モリエールが作った芝居を見てみたかったなぁとつくづく思う。
シアターモリエール
だが、その喜劇作家を冠した劇場で集団感染。クラスター発生。うぎゃあ。これまた残念。ビタミン大使「ABC」も何度も上演した事があるシアターモリエールは新宿にある。設備は今ひとつで楽屋も狭くて色々大変な劇場だけど、そのこじんまりとした感じはとても好きでした(過去形?!)。「黒蠍四兄妹の再会フローチャート」という芝居では、僕は当時久しぶりにヒゲを剃って、おっかない三兄弟の妹と交際する男の役で出演していたっけ。コント公演もモリエールではよくやった。実際コントが多い小屋だった。それもモリエールを冠してるからかなぁ。
クラスター発生
で、ここにきてクラスター発生。これは痛い。
東京都は13日、新宿区の劇場「新宿シアターモリエール」で開かれた若手アイドルの舞台「THE★JINRO―イケメン人狼アイドルは誰だ‼―」のクラスター(感染者集団)について、濃厚接触者がスタッフや観客ら約850人に上ると明らかにした。
でね、これがまた演劇の本格再開を遅らせる事に繋がるのではないかという残念な事態を今憂う。
都は、劇場やライズコミュニケーションから、感染拡大防止のガイドラインを順守していたかどうかを聞き取るなどした上で、再発防止策の提出がなければ、劇場に対して休業を要請するとしている。
これはとても残念です。仕方ないけどね。
歌舞伎俳優の尾上松緑は12日、ブログで一連のクラスター問題に触れ「ふざけるなよ」「新宿のと或る劇場で舐めた真似してくれたらしいな」と激怒。
「僕が苛つくのは、日本国内で初めて舞台での新型コロナウイルス集団感染が発生した公演主催者が〝体調不良の出演者が居るのを知っていながら上演を強行した〟 しかも、何の手も打たずに最終日まで全行程、そして〝罹患している可能性が有り、それを分かっていたのに出演し続けている者が居た〟という事実だ」と指摘した上で「はっきり言おう。こんな奴等は劇場サイド、主催者、出演者、スタッフに至るまで、どいつもこいつも素人の集まりだ」とバッサリ切り捨てた。
芸能界からも非難の声が上がっており、ある中堅プロダクションの幹部は「こっちは感染対策に細心の注意を払っているのに、彼らのせいで業界のイメージは悪くなる一方だ。感染を〝広められた〟タレントの事務所は主催者側に賠償請求してもいいくらい。今回の件で山本裕典は業界の信用を失った」と話す。
問題はこの辺でね。体調不良の人がいたのを知りながら上演を強行したという点。松緑さんの言う通りだと思う。勘弁して欲しいし、本当に酷い。そして悲しい。
悲しい理由
悲しい理由は勿論、件の「体調不良の人がいたのに」というのが本当だったら、というのが大きい。でも、それだけではなくて。
演劇という表現の場が、「素行不良のタレント」の活躍の場となっている事ね。山本裕典さんは、手に負えないからリリースされて今に至るという印象が強いから(そしてそこに信憑性があるから)、このクラスターニュースの中でも「何かと悪の主人公」のようにメインで写真が用いられるワケでしょう。イメージとは恐ろしいですな。だが、まぁ仕方ない。
でも、演劇は、テレビや映画に出演する為の双六の途中のマス目ではないし、そこから都落ちした人の滑り止めの「でもしか」フィールドでもない。筈なんだけど、そうでもない感じが、これを期にまたまたフィーチャーされちゃうのが悲しいなぁという思い。
これまた正直者が馬鹿を見る
マジメに感染予防に取り組む座組が本当に可哀想だ。だって、お客様が「演劇見に行く」事に足踏みしてしまう。バカが一人いればクラスターには事足りる事をハッキリと改めて証明してしまったのだから。この未知の病との戦いの中で(きっと長くなる)、「あの劇団ならば絶対に大丈夫」なんて思って貰える組織は絶対にない。それほど例外を許さない容赦ない恐怖をもたらしたのが新型コロナウイルスだ。
そういや、どこかの雑誌で劇団ビタミン大使「ABC」について「正直者がバカを見る芝居を泣くか笑うかは観る人次第」と評された事があったっけ(←関係ない)。
演劇だけではない
演劇だけではなく、ライブハウスも勿論そうだけど、そういった表現の場だけではなく、全てにおいての経済活動に言える事だ。
これからは、確実に「コロナを意識しながら働いていかねばならない」。これは間違いない事だし、逃げられよう筈がない。よほどの金持ちは別だろうけれど。
ということは、そのあたりのことを「徹底している」事は絶対条件であり、地球上の「暗黙の契約」のようなものだ。少しでも何か疑わしきがあれば、遠慮無く容赦なく「中止」にすべきだし、そこに潔くなれないのならば、上演を決意してはいけない。
その事を思うと、なんてことが起きてしまったのだ?!と衝撃は大きい。演劇界だけでなく、頑張っている人たち全員が(つまり地球上の人類が)残念に思っている事だろう。
やるけどね
丁度、もはや活動再開を考え始めていた僕です。僕は劇作家だし演出家ですから。アイデアでなんとでもすればいいじゃねぇか!と鼻息荒くなっておりました。コンテンツホルダーだぜ。ってね。
アトリエで半数のお客様の芝居を書く。芝居の中で全員がマスクかフェイスシールドをしていなければならない設定を考える。80分の芝居の真ん中辺あたりで、扉を開けて、サーキュレーターをブンブンに回さねばならないシーンを描けばいい。そこに必然性を持たせれば、劇中で換気も出来る。
あとは、出演者たちに「何かあったら即時中止にしますので」の話をまとめておけばいい。ギャラに対しても何に対しても。「お互いがリスクを覚悟でやりましょう」という話し合いだ。
そしてお客様にもそれをお願いする。本当に辛いけれど、受付でピッと計る体温計を用意して、37.5度以上のお客様にはその場でお引き取り頂く。その非礼に胸を痛めながらであれば、なんとか出来る筈だ。
そう思って、台本を書き始めた矢先の報せなので、いきなりフニャチンです。でも、必ず勃起するだろう。近いうちにビンビンにいきり立ったイチモツをぶん回しながら、丁寧にやり遂げようと思う。そういったことが必要なフェイズに入ったんだよ、地球人のみんな。