ようやく50%から100%になりましたね!
よく理由の分からない自粛期間だったが
演劇をする側としては、とても悲しい期間でしたね。やっちゃダメってなんだよってね。でも、今からやった所で、まだ「なんとなく怖いから」という理由でお客様が来ないだろうけれど(そういった「なんとなく」は風評被害であることをわかっていない人が大半であり)、だからこそ、公演を打って、赤字公演を積み上げて、お客様に「そろそろ行ってもいいんじゃないか?」と思って貰うまでの苦労に飛び込まねばならないとは思う。
ともあれ、結局なんだったんだよ? というのはとても感じる部分ではある。
石井一孝炎上
「「またきてしまったのか……オカマ役が」。率直な第一印象である。「蜘蛛女のキス」というミュージカルでモリーナという愛深きオカマを演じたのは10年ほど前だったか。「女言葉と内股」という設定がなかなかなじまず、当然、稽古が嫌で、セリフを覚える気も起こらず、毎晩、ボーリング場に通った苦い思い出。 しかし、相手役や仲間にはげまされ役をつかむようになると、女心がわからなかったはずの私が生き生きと女を生きられたのだ。今ではもうすぐに女になれる……気がしている(笑)。 しかし、鴻上さんとは初めまして。気を引き締めて挑みたい。もうボーリング場には通いたくないから」
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と書いて炎上。トランスジェンダーに対して思いやりがなさ過ぎるだろうと。
「「蜘蛛女のキス」というミュージカルでモリーナという愛深きトランスジェンダーを演じたのは10年ほど前だったか。 「女言葉や女性としての自然な所作」という設定が難しく、膨大なセリフもなかなか覚えられず、七転八倒の毎日でした。 しかし仲間達と絆を重ねあい壁を超えると、女でいたいというモリーナの心が、男の私にも伝わり、生き生きと女を生きられたのだ。 今回は哲造というゲイの役。モリーナとは違い、男として男を愛する役ではあるけれど、自分のいつもの言葉とは違うセリフで、難しい役であることは似ていると感じる。けれど今度は最初からうまくいく…気がしている。 しかし鴻上さんとは初めまして。「生きる!」というテーマに立ち向かうのはきっと大変な毎日になると思う。でもHalcyon days(穏やかな日々)を少しでも早く迎えられるよう、気を引き締めて挑みたい。」
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で、こう改めたそうです。
正直な事を言えば、「うっかり馬鹿」なので、酌量の余地はあると思う。いけないことだけどね。そしてこうしてたたかれる事で、「はっ」と気づく人も多いと思うので、それでいいとも思う。
ただ、ムーランの主演女優の馬鹿発言のような「確信犯」ではないのが救い。
あれはひどい。個人ブログにも書いたけど。
馬鹿でもいいわけではなくなってきた
ようやく、日本でも、タレントほか表現者が馬鹿でもいい訳ではなくなってきたのはいい兆候です。
お笑いタレントは、無知であることが商品価値であり、政治的意見を言わないことが好かれる要素だったけど、影響力がある分、それは許されないということにようやく気づいた。
元サッカー選手のカルロス・プジョルは「サッカー選手は巨大な拡声器を持っているに等しい」と語った。影響力があるのだから、それを正しい方へ使っていかなければならない。と。