全ては僕の責任です。

人を責めるのは、ネガティブですよね。出来ることなら嫌いになりたくないし、責めたくない。人を責める時って、自分が被害者だと思ってる事が多くて。それが、身勝手な場合ってよくある。自分が責めている人にしてみたら、その人が被害者で自分が加害者で責められるべき立場であったりする。というか、何か面白くないことが続くと「大抵の人はこうやって他者を責めて」発散しようとする。だが、人を責める事が嫌う事がネガティブなら、相手を好きになるに越したことはない。僕は誰かの嫌な所をチラと見てしまったら、その人の好きな所を捜して、魅力を見つけて、相殺して好きになるようにしている。普通の場合はそれでいいのだけど、「嫌なことが続いて」その相手を責めたくなった場合は、相手を好きになる、ではすまなくて、相手のいい所を見つけるなんてことが難しくなってしまう場合があるよね。その場合にどうするかを教えよう。自分を責めてみるのです。自分を責めるのはよくないよ。それは99%それが当てはまる。だが、どうしても承伏できない事が起きた場合は、「自分が関わる事の全ては自分のせいなのだ」と思えれば、それで誰も嫌いにならずに「責める」ことなくすむ。

fukusima-hatuden.jpg

例えば。原発が今、こういうことになっていて危ないよぉ~。という話がある。これは予断を許さないし、眼を話すべき事象ではない。日本に住む誰もが一番関心を寄せるべきことの一つであり、それを怠るのは危険だ。仕事はするけど、このことの進捗から興味を移すのはいただけない。

だが、色々知る上で、「やっぱ原発はよくないよ」とか「東電が原発批判されないのは、テレビやラジオや新聞などマスコミにCM沢山出してるからなんじゃないの?」とか、てことは「マスコミは腑抜けってこと?」とか、色々な「敵を作る」動きに進展してしまいがち。

確かに原発は事故もあるし、人の命が多数失われたこともある。核だから、本当に危険だし、問題は山積だ。海水かけるなんて非常手段に出るのは、ホントにホントにやべー事態であることを表している。

でも、しっかり正確な情報を知っていれば、まだまだ「風向きを気にするようになってしまった」とか言う程、ナーバスになる必要はない。

なのに「こんなに不安にさせられて自分は被害者だ」とか、「問題は情報開示が遅い東京電力だ」とか「枝野、寝てないにしてももうちょっとなんとかしろ」とか、

hibaku.gif
「誰が悪いのか」を急ぎ、短絡的に標的を定めてそこを責める風潮に陥ってはいけないと思う。

前回の僕のブログに書いた事と同じで「面白い番組にしよう」と攻めの姿勢を見せれば危険を冒すしそれがハマらなければ「失敗」する。でも、その失敗を責めるよりもトライを評価してもいい場合も多い。

東京電力は、地震にはしっかり対応した作りで原発をやってきたし、津波の規模が想定外だったことで起こってしまったことでしかない(不謹慎ながら軽く言えば)。原子力発電は、コストパフォーマンスが高く、早く沢山の電気を供給出来る。それをやめると火力発電とか風力発電とか、水力発電とかになって、石炭ねーじゃん!てなことになったりする。電気代を高くしないとダメだろうし、何しろ、電力供給が追いつかない。

今回のこの原発の問題は、東京電力を悪者にしてしまえばとても簡単に「自分を被害者」に出来て都合がいいが、怒りのやり場が欲しいだけで、早計に判じるのはどうかと思う部分が僕には大きい。

なぜなら、今まで「お金さえ出せば電気はどれだけでも使える」と思って電気を使い続けて来たのは僕たちだし、そのおかげで栄えてきた国でもあるし。節電、なんて意識はよっぽど酔狂な人じゃないと持たなかったようなそんな体たらくの中に僕らはいた。何かを買う時に「あ、またこれも電気だ」と計算して控えたりしていたことなどないのが実情の筈。アイフォン、iPod、パソコン、ビデオデッキ、電気ストーブ、エアコン、電気カーペットに、ドライヤー、掃除機、洗濯機、ステレオに乾燥機、ウォシュレット、コタツ、電子レンジ、炊飯ジャー、アイロン、加湿器、ビデオカメラ、携帯電話、ファックス、留守番電話機、ゲームボーイ、プレイステーション、CSチューナー、テレビ、などなど。

つまり、節電意識が低かった自分たちの責任、と思えば、東京電力を責めずにすむのではないか、ということ。
勿論「電気は湯水のように使ってイイ」雰囲気をマスコミと一緒に作られた洗脳された、と思えばこれまた話はひっくり返るけど、冒頭に言ったように自分のせいに出来れば、話がまとまる、ということでいうと、ここは、「利便性を享受できた今まで」のしっぺ返しを受けているようなもので、元々は自分たちにも大きな原因があるのではないかなぁ。だって、ほら、そのマスコミで流れていたものの中には、つまり、東京電力がテレビ局にお金を出して流していたものの中には「電気を大切にね!」っていうものだってあったでしょう。天罰とか、猛烈にけれん味のある言葉で表現した石原都知事を批判する人も沢山いるけど、もしかしたらこういうことを言いたかったのかもしれないしね。

この事態の犯人捜しをどうしてもしたいのなら、自分にしてしまえばそのほうがいいよ。イライラしないし、八つ当たりしないですむし、反省して前向きになれる。

このハラハラが二度とゴメンだ、というなら、この事態が収束して落ち着いたら、節電を心がける人になり、原発反対署名運動に参加して意思表明をしたりすればいい。今、文句を言うのは体にも心にもよくないよ。

外国人がドンドン日本を離れていくけど、それは「大事をとって」の部分であるし、「日本語で放送されている」枝野とかの会見にしても「詳細を理解できない」から「一応念のため」の待避だから、危ないから待避じゃないのよ。その日本という国で起きているこの事態をしっかりチェックしながらある一定のレベルが超えたら待避を命ずるのだと、その「日本観察」が面倒で仕方ないから、だから「よくわかんないけど帰ってこーいっ」なのだから。

ビビらず、東電を責めず、正しい情報をより早く正確に捉え、落ち着いて正確な判断を下していればいいのでありまするよ。

・・・ちなみに、僕の親戚が秋田にいて、電気がしばらく通っていなかったんだけど、農家なので米は自分で作ってるし、薪ストーブだから電気は不要だし、店で買うものがないけど、保存食の「いぶりがっこ」とか「味噌」とかはあるし、野菜も作ってるし、『東京で暮らしている僕よりも不自由がない』生活を問題なく送っているようなのだよ。東京は電気が止まるだけで大問題。だが、秋田の田舎は、寒くもないし、腹も減らないそうな。それは勿論家が津波で流されたり倒壊しなかったからも勿論あるが、それにしても強い。農家の強さに感動する。何にもないところ・・・そう思っていたけど、違うよ。東京にないものの全てがあるようで・・・。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください