かつて、僕は、電算写植の文字入力のアルバイトをしていたのですが(20代)、パチパチという音楽雑誌とかエロ雑誌とかを担当してました。だもんで、入力はまぁ、遅くないです。
ワープロは、僕のようにせっかちな性質の男にはとても助かるツールでした。手書きでものを書いていると、左手を使っていない事にイライラして仕方なく。「ああっ、片手でしか書いてない!」と無駄を感じていたのですね。それが、ワープロだと、思考の速度とほぼ同速に書けるので、テンポ重視のシーンの台詞のやりとりなんか、応酬のテンポでそのまま書けて助かりました。
そのころ、ワープロでプリントすることは「プリントする」といっていて、印刷所に発注するものが「印刷する」といっていたのだが、ある時期(多分パソコンが普及して)から、自分でプリントすることも「印刷する」というように言われるようになり。今も、印刷している状態です。
カップヌードルカレーでご飯を食べながら。なんじゃいな、このジャンキーな食べ物は。単身赴任か、俺は。でも、オイチイ。さて、明日は午前中に一発打ち合わせがありつつ、正午から稽古。休みが多い日でもあるけど、まぁ、形は見えるでしょう。今まで途中までしか台本を渡されておらず、其の中で役作りとかをしていた役者さんたち、すんませんでした。さぞ不安だったでしょうね。でも、このパターンは実は俺は「アリ」だと思っていて。
それは、役者の調子やコントラストなどを見て書き直せるなんていう実利面でのことではなく(実際、それでいうと、何人かNG多い人を「一人で稽古出来る」シーンにスライドさせたりしたけれど)、
本来、お客様は、後半を知らずに前半を見るので、「後半がこうだから、前半をこうしよう」という役作りが「無意味な後説」になるケースが多い。こうならないパターンを整理してみよう。
・役の統一感を出す為に、全部を通してからキャラクターづけをして、芝居を作る。これ普通。でも、最後に狂乱する役だとしたら、狂乱する人、という役作りをして前半に布石を置いちゃいけません。これ、解るよね。それを間違わなければ、「戯曲全体を見て役を作る」のはアリ。
・反対に、やっちゃいけない後説になるパターン。後説というのは、「後で説明する」事で、「その後半部の説明」を見ていないとおもしろみが伝わらない要素で前を組み立てる事を指します。物語を作る上で絶対にやっちゃいけないこと。例えば、キスシーンがあったとする。その後に、そのキスシーンを演じた女の役が、「実はとても身持ちが堅く、滅多にキスする事がないキャラクター」だとしたら、そのキスシーンの前に知っていた情報の方がキスシーンが感動的になりますよね。そういうことね。「その情報を知っていた方がより楽しめる」情報が後にある場合は、「無いものとして」扱う、これが定石。
……だもんで、前半だけの台本を渡して、解る範囲で演技してみてちょ、というは、役者に対しての無茶ぶりのようでもあり、でも、自分の中では、「アリ」と思っているのであります。特に後説やりがちな頭デッカチな役者に対しては効果的。今回そういう人がいるかどうかは解らないけど。単純に新作だったので、モタモタ書いてただけなんですけどね。とはいえ、役者に迷惑かけたのは変わらないので(アリとはいえ)、申し訳なく思います。毎度のことだけどスンマセン。
さて。今日の一曲は、エイミー・マン。大好きな人。活躍期間が長いが、なんと年上だった。ぶひー。これで50歳って凄い。やっぱり、二の腕が細い人は無条件で美しいですね。
で、曲は、こちら。
Aimee Mann – Charmer
チャーマー。まるで歌い上げないのに、癖になる声。不思議な魅力です。淡々としてる。このPVのようにね。PV見るとやっぱり、寄せる年波に人はあらがえないのを多少理解しますね。でも、カッケーすね。