シスターズ・ブラザーズ

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パトリック・デウィット「シスターズ・ブラザーズ」を読み終わりましてん。


本は急かされないのでいいですね。
例えば、面白い芝居とか映画は「ああ、終わるのがもったいないからゆっくり楽しみたい!」なんてことは出来ないし、DVDだからって、遅く再生しよう、なんてやったら、もはや何がなんだか解らないものになってしまいますものね。
その点、読書は、小刻みに休めるし、「どわっ。これ佳境だ。明日にしよう」が出来る。そして、必ず何かしら創作の種になる。実は前回公演の「煙突守とルール」は新訳「デカメロン」に感化されて出来たなんてことはまるで解らないでしょう。僕も終わってから、あー、そういえば、そうだったなぁって思い出しました。
それから去年の秋公演「ヒポクリティカル・アイランド」は勿論言わずもがなのサンカ小説を題材にしてしかもサンカ小説で三角寛さんは「ほぼ創作」と告白しているにも関わらず、その三角ワールドをあえて事実と受け止めて一部をオマージュとして芝居に取り込むという多重構造にしてみました。民俗学が大好きな知人は大喜びでしたけどね。
ただ、どうしてかあれがガルシア・マルケス「百年の孤独」リスペクトであることはどなたからも指摘されなかった。どう見ても、の筈なんですけどね。マジック・レアリスムであり、百年で丁度「何もなくなる」し。何しろ「楽ん土(ラクンド)」は”百年~”のマコンドですものね。しかも、マルケスが認知症になったと聞いて慌てて読み返して更なる深淵を覗き感銘を受けましてん。
それから、ついでに言うと「PhⅡ顆粒」は「夏への扉」の影響ですか?とよく訊かれます。「冷凍睡眠」の話ですからね。まるで違います。読んでないし(汗)。何より、旗揚げしたばかりの頃の作品(下北沢ザ・スズナリでの公演)「じじじい」が元です。つまり自分の中で更なるブラッシュアップ。
作品て、沢山あるから何を作っても「~系」とカテゴライズされてしまうのが今。それは飽食したのか贅沢になったのか。音楽も然り。作品そのものが少ない時代はそれぞれが新鮮に感じられて面白かっただろうなぁ。
オアシスの方がビートルズより沢山曲作ってるし、凄いのに、でも、イエスタデイのように老若男女の知る曲にまではならない。とても面白い作品が湯水のように湧いては流れていく。贅沢な掛け流しの温泉のように。

Rhye – Open
さて、きょうの一曲。ライというユニットで話題沸騰。そんなにいーのかよー、と斜に構えて聞くとぶっ飛ぶ。やはり噂はなめちゃいけませんね。あーびっくりした出会いだった。シャーデーじゃないよ。

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