公演が終わっても。

公演が終わって二週間以上経ちますが、取材で読んだ本をパタと読まなくなるので、何やら「抱いたら一丁上がり的に女を捨てるPLAYBOY」のような薄情さを感じています。

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三日間終わりましたん。

トークライブ三日間終わりました。先週のトイレトークライブを含めて、あー楽しかった!(^_^;)☆
なんて感想でいいのか悪いのか。ニッポン放送のスタッフが三日連続で来てくれて、そして、今色々お喋りして、今後のraditalに期待!な夕べでございます。
色々な事を思う機会が多い年末ですが、例に漏れず僕も色々な事を考えます。
それは、まぁ、ただ走っていることの方が楽でいい、ということなのでしょうし、はしるのをやめてしまうと、人はダメになってしまう、というようなことでもあるのでしょうかねぇ。ま、いっか。さて、まだ仕事があるので、頑張ろうっ! どりゃっ!

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企画書ださんでも展開することもあるから世の中は捨てたもんじゃないけど、もんじゃは捨てたらいかんよ。

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黒い綿棒は本当に凄いアイテムです。何しろ耳クソが見えるワケですからして。
十五年ぐらい前に、ラジオを通じて「耳かきほど気持ちのいいものはない」と喋り倒して、世の中の医療関係者から「耳ほじることを推奨されては困る」「外へ出すように身体は出来ているのだから、ほじらなくてよろしい」などと叱られたり言い直しを迫られたりしたものです。挙げ句に「小学校の先生に『体の穴をいじる子はエッチだよ』と言われました」という重松清のおこちゃま小説に出てきそうなエピソードまで飛び出して閉口しました。
そしてそれにもめげず、「黒いティッシュが欲しい! それを企画書としてクリネックスとかに出したい!」とまで言っていた僕。ティッシュではなく、綿棒を黒くしてしまえばいいのだ。そうだったのか。でも、ほら、爪切りの時に「黒いティッシュ」ってあると便利じゃないですかね?
自分が20代の頃に「こういうのがあったらいいのに! 俺企画書書いて提出しちゃおかな!」と言っていたもので、企画書を提出していないにも関わらず実現したものがあります。それは、ドトールコーヒーのドライブスルーです。ドトールコーヒーは安価なコーヒーの中ではとても美味しいと僕は思っています。上島とか珈琲館とか、色々美味しいけど、チェーン店では目を見張る美味しさだと思っている。意外にマクドナルド珈琲も美味しいが。ドトールコーヒーを「車で買いに行ってドライブしながら飲みたい!」という願いがそのままラジオで「ドライブスルーやって欲しい!」トークに繋がったのですが、形を変えて「ガソリンスタンドと一緒になった複合施設が乱立した。うむ。それでいい。給油客が珈琲飲む事に繋がっていないみたいで苦戦してそうだけど、それなりに助かるし僕の夢は叶った。

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稽古場バラシ

本日、稽古場バラシ完了。僕の車ステップワゴンに積んだものを下ろして整理してトークライブが目白押しの今月なので、ライブハウス仕様にする。それにあたり、ヘタった設備を手直し。ふー、なんとか出来た。
まずは、今週日曜日の「日本のトイレ事情と佐藤の諸事情」だぁん。どきどきキャンプの佐藤満春さんと僕も出ます。トイレクイーンも出ます。なんだか、撮影があるらしいですよ、近々。
そして、それが終わって、駐車場に行く前に大塚駅前の本屋で「立ち読み」をした。自由だ。自由を満喫だ。本屋なんてまるで寄ってなかった。CDショップも然り。そういう気分になれなかったし、その時間が勿体なかった。その分、芝居の為にすべきことが沢山あるし、自分の時間なんて持てなかったからなぁ。いや、やろうと思えば、堂々とそういう事を鉄面皮で出来ちゃう人もいるんでしょうし、俺だって、そうなれば出来るんでしょうけれど、どうもダメで。まぁ、ダメのままでいいですがね。

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次に繋ぐのが劇団です。

劇団は、継続的な活動その物が作品だから、公演単位の成功を一概に論じがたい。

若手の育て方もそうで、少しいいからと大役与えてコケると干さねばならなくなり、劇団にとって痛手。

劇作自体にも将来の為の、を考えることが多い。

ここ十年やって来たのは「安心して見られない喜劇的な物語」。喜劇的な演出って、安心して観られる、とか、お年寄りからお子様まで、みたいな敷居を下げる要素に受け止められるが、おっかない話を見やすくしたり、重い主題を軽く見せかけたり、手法の使い方はまだまだ汎用性あるべきで。

更に細かい部分で次へ繋がる事を仕込みますが、今回終えたばかりの「ヒポクリティカル・アイランド」は、作劇的に次のどーゆーことに繋がるのかが、凡庸としています。

もともと20年前からパーティシーンのわさわさは得意だったし、クロストークもやっていた。でも、あんだけみんなで苦労したんだから、何かが必ず残るだろうな。

まぁ、じっくり箱書きしてジックリ取材して臨めば(なのに取材対象に入れ込みすぎなければ)、なんでも書けるということでいいのではないか。一番は創作意欲。

教授って、どうなんだろうなルックスです。


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公演が無事終わりまして、打ち上げなどで撮影した携帯電話での画像をアップしてみます。

この画像は、教授役の為に夏から髪の毛を伸ばした結果辿り着いた髪型です。
カツラ疑惑で素人童貞の役だったので、それなりに気持ち悪い人にならねばならぬのですが、
それにしても、ここまでキショイ感じになれるとは。
なんだか、白髪の少ないラッパやの鈴木さんみたいなようにも見えるし、おねぇキャラのバーのママみたいな風にも見える。弱ったなぁ。
ちなみに、打ち上げ会場でもある、第21みくに丸での撮影です。
今回は、振付のゆうさんや、くまざさ商会のお二人が参加してくれて、とっても嬉しかったでござる。
ここへ来ると、もっともっと新宿で酒飲まないといかんなぁ、と思いつつ、その思いつつのまま次回公演に突入してしまう自分を痛感します。
ま、しょーがないか。

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完了しました。

去年の丁度今頃、顔ぶれが決まった「ヒポクリティカルアイランド」の出演者。今年の前半は取材に終止し、後半の夏から台本を書いてその間常に自分の頭の中で動き続けていたメンバーと昨夜お別れし。

何人かとは、ようやく打上で落ち着いて・・・というほどでもなかったけど、話ができて良かったなあと。人に歴史あるのねと。

でもそれはディテールを知るだけで、芝居という共通言語に仲立ちされれば無条件に分かち合えるので、早く深く知っていたかった部分でもなく、というのが打上に丁度良い。

役者は共演者にも演出家にも観客にも、もっと知りたい、もっと見たい、と思わせるのが仕事であり、だから枕営業もしちゃダメよってなことでもあるんにゃけど、その、ちょっとだけ理解しただけで散会する打上の寂しさもまた面白いですね。

僕らにはお金も時間もないから、有名演出家が並んだ舞台衣装候補から「これとこれとこれ」と選べる余裕はないけど、その代わりに僕の決して枯渇しないアイデアの泉があり、それを頼りに今後も目の前に真っ直ぐな道がある。

今作でも割愛したエピソードが沢山。

橋田教授とリィバは「書物」から恋愛成就を図ることで共通し島で同時多発失恋をする、とか、ロンドとシェーの馴れ初め、けん玉の音で恋心を伝えるベッキョとそれを受けてけん玉猛特訓するガヤとか、色々。

中でも最後まで悩んだのが、シェーの手紙。

実はリィバから読み書きの手解きを受けていた島の女。笠原に頑張って手紙を書いたが誤字だらけ。「き」と「ま」を、間違えてるから「好ま好ま、あなたが好まです」など、幼児レベルの字でしたため素田経由で渡そうとするが、空腹のロクゾウが手紙を食べてしまい笠原には届かない。渡したつもりのシェーが笠原に数日後業を煮やして問う。

「お手紙、読んでくれた?」
「え? なんのこと?」

ショックを感じるシェー。ややあって、

「ううん。別に。なんでもない」

で終わる大人の恋。

伝わることが重要ではなく、伝えることが重要なのだとしても、打上でしっかり伝え忘れた部分。出演者のみんな、スタッフの皆さん、そして変わらぬ自己犠牲の精神で公演を回す劇団員に、ありがとう、と言いたいのです。

開幕しました。

「ヒポクリティカル・アイランド 〜根人とガッジョと豚の狩人〜」

シアターサンモールで、開幕しました。昨日が初日でした。

この人大丈夫か?と心配な人が実は安定してて、頼もしいはずの人がお茶目なミスしてたり、

ラクンドという島は本当に不思議です。

理路整然としたゴチャゴチャを、理屈に裏打ちされた不条理を、まとめて舞台に積み上げる。闇鍋のような出演者の顔ぶれで。

振り付けのゆぅさんの、ゲネ終わりの「なんとか形になりそうですね」にホッとしたのを覚えてる。

今回は劇作家は神であーる!を実感できた。正確には、役者が神にしてくれる、ことを痛感して感謝した。

なぜ四〇人近い役者が、島のルールに順応出来たのか。それは、役者こそが、最もヒポクリティカルだからだ。これに気付いてからの稽古は頭に疑問符が浮かぶことなく演出できた。

島のルール、価値観、因習。それらを作ってから人格を振り分ける。歪曲したなかで伸び伸び生きる島民。

物語の前に世界を創る。本当は言語をゼロから作りたかったんだけど、説明が大変なので既存の言葉とフィクショナル訛りに留めてみた。

僕が演出でありながら、出演者であることは当然どちらも半人前になるわけで、共演者や劇団員に嵐のような迷惑が流れる。さらにそうなるとスタッフの自立性と自己演出性が極端にものを言うわけで、そういった点でも照明の山田さん、音響の佐藤さん寺澤さん、ブカンの山田さんに感謝です。細かいことを打ち合わせずとも「だって、ここはこうしたいでしょ?」ってことを超明確に掴んで下さってる。

急逝した照明家清水利恭さんの奥さまが観劇にいらした。お墓を教えてと訊ねたら、暫く入らないかも、と、奥さま。日高さんも驚く気丈ぶりだった奥さまの「突然のことすぎて(整理がつかず)」というとても当たり前の部分をようやく見れて安心しました。

二日目の今日はまず、清水さんに黙祷を捧げようと思っていたがやめます。奥さまが受け入れないなら僕も。だってばろな、いるってことで、ええんがろがな。

初日打ち上げで照明の山田真輔さんも言ってたしね。
「(清水は)今回の打上は出るんじゃないすかね。いま、暇な筈ですから」

内容ちょっと。

稽古中ですが、内容をちょっと。
■決定(選挙)を争う主婦
「根神」になる為に決定という選挙制度がラクンド島にはあり、それに名乗りをあげるのが、以下。
リィバ(栗山絵美)、シェー(島田ゆかり)、ローリエ(石澤美和)、シューコ(佐竹リサ)、ミンスピー(小森美季)。ロミ(?)。
この中で、立候補が認められない人が何人かおり、そして、その認められない中の一人は立候補が認められます。うーん、こうして書くとわかりづらい。箱書きの時も解りづらかったが、実際に台詞に書いてみたらそうでもなかったことを思い出しました。
■貞操観念について
ラクンド島にはチューリン大好きな女性がほとんどだったかつてと違って、最近では、一般的な貞操観念の持ち主が増えてきました。それは世代の変化によります。若い女性の中には身持ちの堅い人が増えてきました。
貞淑系・・・リィバ(栗山絵美)、ミキ(井上あかね)、キララ(寺岡綾香)、ノン(佐々木美綺)、キロ(優美)、クスオ(池田葵)、ウルザ(串田えみ)、ミシトー(蔵光美穂)
尻軽系・・・シェー(島田ゆかり)、ミンスピー(小森美季)、ローリエ(石澤美和)、シューコ(佐竹リサ)、カヤノ(福田加奈子)、トウコ(藤堂さわこ)
???系・・・カリン(木下智恵)

止め通しをして通し稽古をして、の一日。

本日祭日でしたね。この祭日を挟んでの公演本番日というのも、過去に10回ぐらいはあったような気がします。しかも、サンモールで。

ですが、今回はバタバタっと劇場が決まったので、というより僕ちゃんのポカで慌てざるを得なくなって決まったスケジュールだったので、いつもとは違う12月まで跨いでの公演になりました。

さて。本日は、止めながらの通し稽古をやって、休憩を挟んで通し稽古。自分は演出から早く役者モードに切り替えていく作業をしなければならないので、衣装を着てやってます。

1007_miyakawa.jpgちなみにこれは、三年前の公演の時の僕の写真。金髪ですね。そして、今は猛烈によくわかんない状態の様相を呈しています。自分でもワッケわかんない顔立ちになってて、楽しいです。毎日鏡みるとビックリします。

今日も、久しぶりにあった制作の北島が「おはようございますっ。わっ」と言ってました。「わっ」ってあーた。

つまり、そういう髪型であり、そういう顔ってことです。

んもー、おれ、このままロビーに出て行きたくないなー。んもー。と思うんにゃけど、まー、しょうがないやねぇ。

さてさて。稽古は順調っぽいです。体調壊してる人が数人いるようで、それが心配ですが。

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